「丼物」ってそもそも何? NMB李始燕が食文化の壁を超えて考えた

NMB48のレッツ・スタディー!小論文編 李始燕さん②

 2020年度から始まった大学入試改革では、思考力や表現力がより重視されるようになりました。改革の先行きが不透明な中、どう勉強すればよいのか。NMB48のメンバーが書いた小論文を大手予備校・河合塾の講師に添削してもらい、ヒントを探ります。李始燕(イシヨン)さん(22)がお題を読んで挑戦しました。(構成・阪本輝昭)

今回のお題「丼ものを定義してください」

「あなたが考える丼ものって何ですか? 丼ものを定義してください」(200字以内)

李始燕さんの小論文

 丼物は1つの器にご飯とおかずが乗ってる形で、食べやすいし、洗い物も簡単になる。

 洗い物を減らすために、もしくは時間を節約するためによく食べる人が多いと思う。

 普通の日常での簡単な丼物かもしれないけど、大体の人が食べたことがありそうな食べ物で、丼物に懐かしさや思い出がある人もきっといるはずだ。

 みんなの気持が詰まってる丼物、私が考える丼物は暖かい日常、そのものだ。

河合塾・加賀講師「『特徴を説明する=定義』ではない難しさ」

 出題と添削を担当するのは河合塾で小論文を指導する加賀健司講師です。

       ◇

 「好きな丼もの」について書いてもらった第一回に続き、日本語表現、そして文章構成、とても上手です。

 そのうえで。今回、李さんが主に書いてくれている内容は、丼ものの「特徴」についてです。しかし、お題は、丼ものの「定義」を尋ねるものでした。

 李さんが冒頭で書いている「一つの器にご飯とおかずが乗っている形で……」という部分は「定義」です。書き出しは上々。でも、そのあとに続くくだりが全体的に「特徴の説明」になっている。丼ものの特徴はしっかりとらえており、着眼点もよいのですが、お題の意図をとらえきれていない。そこが惜しいです。

 定義というのは、言葉や物事の意味を、ほかとはっきり区別できるように言語化することです。「AはBである」という説明と同時に、「BはAである」という説明も成立しないといけません。

 例えば、電気冷蔵庫とは? 「電気を用い、食品などを低温で保存し鮮度を保つ装置である」なら定義ですが、「戦後家庭に普及した白物家電である」としてしまうと、洗濯機など他の製品にもあてはまってしまうので定義になりません。

 「食べやすいし、洗い物も簡単になる」という説明は、丼ものに限らず、カレーライスなどほかの料理にも広くあてはまります。丼ものの「解説」ではあるけれど、「定義」ではないのです。

 李さんの丼ものへの愛情や思い出の深さは伝わります。それだけに、お題と少しずれてしまったのが残念でしたね。

 実は「定義」というのは、簡単なようでとても難しいんです。例えば、「NMB48とは何か、定義せよ」と問題を出されたら、たぶん李さんもメンバーさんたちも考え込んでしまうんじゃないかな。

 ふだん「何となくわかったつもりになっていること」や、あまり深く考えたことのないテーマに正面から向き合うのが小論文です。その過程で、自分の中にある先入観や思い込み、誤解に気付けることもあります。実はそのことが、小論文を学ぶ大きな意味でもあるのです。

NMB48・李始燕さん「しっくりきていなかった理由が……」

 わ~! 今回の小論文、書き終わったあとも自分の中でしっくりきていなかった部分がありました。加賀先生の指摘を受けて、その「しっくりきていなかった」理由がよくわかりました。つまり、小論文ではなくて、できのよくないポエムになっていたんだ。

 日本の丼ものは私の故郷・韓国でも人気だし、丼ものに近い料理も多くあります。料理好きな私の父がよくつくってくれました。手の込んだ料理も多かったけれど、私がとりわけ好きだったのは、ボウル状のお皿にご飯を盛り、目玉焼きを載せ、しょうゆやたれをかけて薬味などを散らしたもの。日本流にいうと「目玉焼き丼」ですかね。

 朝早く、学校に行く前にそれをスプーンでかきこむんです。そうそう、韓国の食事では日本よりスプーンの出番が総じて多いんですよ。父の満足そうな顔を横目にしつつ平らげて、「いってきます」。

 そんな家族との思い出が浮かび、ついつい感傷めいた文章になってしまいました。

 でも、求められていたのは、万人に通じる「定義」だったんですね。私の書いた文章は対象を丼ものに絞り込めておらず、かつ、あいまいで個人的な経験に寄りかかっていたと思います。

 私の定義する丼ものとは、具とご飯が一体となり、双方の味を引き立てている料理。「1+1」が3にも4にもなる料理。具とご飯が、お互いに最適のコンビネーションを発揮している必要があり、単に一つのお皿に同居しているだけではダメなんです。

 そのあたりをもっと突き詰めて、客観的な文章で書けていたらよかったですね。悔しい! 次こそ満点とるぞ!

 それはそうと、「定義」って難しいですよね。

 加賀先生もおっしゃっている通り、「NMB48」を定義せよといわれたら考え込んでしまいます。「大阪に活動拠点を置いて、ひたすら夢を追いかける大勢の女の子の集団です」だと……だめですね。ほかにも該当する人たちやグループがたくさんありそう。

 「歌やダンス、おもしろトークを頑張っているアイドルグループです」では? うーん、それだけではNMB48とはわかってもらえないかも。

 「AKB48の姉妹グループとして大阪・難波に誕生し、歌・ダンス・お笑いに情熱を傾ける四十数人のアイドル集団」かなあ。これが一番近い気がします。

 では、「アイドル」を定義せよといわれたら……。これはもっと難しい。百人のアイドルがいれば、百通りの定義がありそうです。だから、たぶん永遠に答えは出ないかも……。

 これは私なりの定義ですが、「一人でも応援してくれる人がいれば、アイドル」だと私は思っています。職業としてアイドルをする人に限りません。定義としては広すぎるっていわれるかも知れませんが、応援してくれる人がいてこそ初めてアイドルは存在できると私は思うので。

 そして、私の人生を応援してくれる人はみんなファン。だから、私の最初のファンは、私の両親ってことになります。

 アイドルとファンの関係は一体であり、どちらかが欠けたら、もう一方も存在できなくなります。二つの存在がセットになることで、お互いがお互いの魅力を引き出し、思いもつかないようなパワーが生まれるんです。

 あれ、それって丼ものに似ているのでは? 天丼から天ぷらを取り除いたら、ただのご飯。ご飯を抜いたら、ただの天ぷら。二つがセットになっているからこそ、成り立つ料理――という点で。

 二つが最強の状態でタッグを組んだときに、「天ぷら+ご飯」は「天丼」というメニューに進化する。私もファンの人たちと、そういう関係性でありたいですね。

記事後半にプレゼント企画

記事後半で、李始燕さんのサイン色紙が当たる、クイズ付きのプレゼント企画「とけるかな?」の案内があります。

プレゼント企画「とけるかな?」

 ダンスに歌に、体力が必要な…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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