床並浩一 青山祥子
ハンセン病患者に対する差別や偏見を理由に地元の小学校への通学が許されず、退学した回復者の男性が、75年ぶりに静岡県御前崎市の母校を訪問した。当時のつらい記憶をたどりながら、卒業生の一人として名誉回復の門をくぐった。
「私の知る限り、母校を訪れ、これほど歓迎されたことがある仲間はいない。温かく迎えてくれた古里を誇りに思う」
川崎市在住の回復者、石山春平さん(87)は10月19日、実際に通っていた小学校が統合された御前崎市立第一小学校に到着。駆けつけた支援者や同級生と足を踏み入れ、喜びをかみしめた。
担任に蹴られ、涙の思い出
石山さんは1936年、旧浜岡町(現御前崎市)に生まれた。47年、小学6年生の夏。校内健診で1人残され、大きな病院で診断書を書いてもらうようにと告げられた。左手の小指が少し曲がり、病の兆候は表れていた。夏休みに、静岡市の病院で診察を受けた。診察室から出てきた父親は、診断書が入った封筒を手にうなだれていた。
2学期が始まり、学校に封筒を提出した。2時間目、職員室から戻ってきた担任は顔色を変え、「もう帰れ。お前は汚い病気になった」と言い放った。曲がった指をさすってくれた優しい先生だった。「僕は元気です!」と答えたが、竹の棒で押されて教室の外へと出された。
翌朝、父親に「今日は休め」と言われた。「何でだ」と聞くと、「お前は人にいえない病気になった」という。呼びに来た近所の下級生に促されて登校すると、自分の机と椅子は燃やされてなくなっていた。「二度と来るな」と担任に突き飛ばされ、激しく蹴られた。理由も分からず、涙が出てきた。それが小学校の最後の思い出となった。
石山さんは当時の学校や教師の対応について、「差別意識が根強かった時代だから先生たちを責められない」と思いやる。
漏らした言葉に支援者奔走
75年ぶりの母校訪問は、今年6月に小学校の卒業証書が贈られたことがきっかけで実現した。
2001年、ハンセン病患者…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル