京都アニメーションの放火殺人事件で、犠牲者の1人と発表された監督の木上益治(きがみ・よしじ)さん(61)は長年京アニを牽引し、数々の作品を手がけたベテランアニメーター。妥協しない仕事ぶりで知られ、若手の育成にも力を入れていた。「京アニ全スタッフの師匠だった」「日本アニメ界はあまりにも大きな存在を失った」。関係者や知人は肩を落とした。
木上さんは映画「ドラえもん」シリーズやスタジオジブリの高畑勲監督の代表作「火垂るの墓」、世界中でファンを獲得した漫画家の大友克洋さんの「AKIRA」などにスタッフとして名を連ねる日本を代表するアニメーターだ。「今に至る京アニの作品づくりの土台を築いた人物」。京アニをよく知る京都文化博物館の主任学芸員、森脇清隆映像・情報室長が振り返る。
森脇さんによると、昭和60年に設立された京アニが、まだ他のアニメ制作会社の下請け業務を行っていた時代、京アニの作風や作品づくりに対する心構えを構築したのが木上さんだった。「せりふや音楽に頼らずとも、絵の動きと演出で訴えたいことを全て表現し切る。そんな京アニの作画に対する考え方を周知徹底させた人です」
例えば木の葉がくるくると舞い落ち、寂しさを表現するシーン。動画作成の手間が余分にかかることがあるが、「コスト増になっても絶対手を抜かず、全力でやり切るのです」(森脇さん)。それが京アニの考え方だ。こうした姿勢は、同業他社にも大きな影響を与えたとされる。
仕事に妥協はしない。誠実さとアニメへの情熱がうかがえた。「日本のアニメ界が失ったものはあまりにも大きい」。森脇さんは唇をかんだ。
京アニの元同僚も、同じ感情を抱いている。
「新入社員のとき、一緒に仕事がしたいといわれ、うれしかった」。約25年前、京アニに勤務していた兵庫県尼崎市のパート女性(49)が記憶をたどる。
京アニ初のオリジナル作品「MUNTO(ムント)」では監督を務め、その後も「けいおん!」や「涼宮ハルヒの憂鬱」、「Free!」など、同社のヒット作品の制作に中心となって関わった木上さん。「仕事熱心で、京アニオリジナルの作品を作ることに情熱を傾けていた。『この会社のオリジナルを作っていこう』と話されていた」。女性が無念さをにじませた。
京アニのホームページなどによると、木上さんは京アニ取締役を務める傍ら、同社主催のアニメーター志望者向けの養成塾で講師を務めていた。
アニメーターとしての高い技術だけでなく、後輩思いの人柄から、同業者からも「センスの良さでは勝てない」「京アニ全スタッフの師匠。京アニクオリティーの土台を築き上げた」と尊敬を集めていた。
約20年前に京アニで勤務していた徳島県の男性(41)は「仕事を丁寧に教えてもらった。恩義を感じている」
男性によると、有名作品の制作に関わっても自分の名前は表に出さず、若手の育成に力を入れていた姿が印象に残っている。「知ってる人がこんなふうに亡くなるなんて。とんでもない才能が失われてしまった」。悲報に言葉を失った。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース