川崎市多摩区の路上で児童ら20人が殺傷された事件で、亡くなった外務省職員でミャンマー語通訳の小山智史さん(39)を悼む声が海を越えて広がっている。強い外交関係を持つ日本にとっても、小山さんは大きな「架け橋」だった。
「これからも人生の半分くらいはミャンマー。これも縁です」。小山さんは16年末、外務省担当だった記者にそう語っていた。
ミャンマーは若年層の割合が高く、経済成長が見込めるため、近年は日本でも「ラストリゾート(最後の楽園)」と呼ばれる。有望な投資先という意味だ。日本は官民合わせて約8千億円規模の支援を約束。ヤンゴン郊外には日本の商社と国際協力機構が出資する経済特区があり、多くの日本企業が進出している。
小山さんは両国関係について、「ミャンマーには日本と違う時間の流れと考え方がある。長い目で見て、一方的な支援ではなく対等に利益を得られる関係を作りたい」と話していた。
外務省で指折りのミャンマー語通訳だった。もともとミャンマー語に特別の関心はなかったが、大学在学中に通訳者を目指すことにした。その理由について、かつて記者に「大学の後輩の恋人が通訳担当官を目指していたから」と照れくさそうに話していた。「その後輩が今の妻なんです」
ミャンマー赴任にも、現地への留学経験がある妻が同行。当時は軍政下で外交官として思うように活動できないなか、「妻の豊かな人脈に助けられた」と感謝していた。滞在中に長男を授かったこともあり、「仕事を離れ、家族旅行で行くのもミャンマーなんです」と笑っていた。
外務省によると、省内のミャンマー語通訳は現在、約10人にとどまるという。(ソウル=武田肇)
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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