日本航空(JAL)のジャンボ機が1985年に墜落し、乗客・乗員520人が亡くなった事故は12日、発生から38年を迎えた。全国から集まった遺族らは朝から、墜落現場となった「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に慰霊の登山へと向かった。
9歳で亡くなった美谷島健さんのめいにあたる芽生(めい)さん(10)は、葉っぱを拾ったり、バッタを探したりしながら御巣鷹の尾根を登った。墓標の前では、シャボン玉を飛ばし、線香を上げた。
亡くなった「健ちゃん」は父・真さん(51)の弟で、甲子園に行くため一人で飛行機に乗って事故にあった。「とても勇気のある子だったんだと思う」と想像を膨らませる。
途中、「健ちゃんってどんな子だったの?」と尋ねると、真さんは「賢くて、小生意気な弟だと思っていたな」と笑った。それを聞き「私に似ているかも。友達だったらけんかしたかな」とつぶやいた。
1歳の時は両親におんぶされ、2歳からは自分で尾根に登っている。「健ちゃんに、今年も来たよと言えてよかった」と話した。
帰りは、同じ事故の遺族の若本詩葉(しよん)ちゃん(5)と手をつないで下りた。詩葉ちゃんと会うのは昨年の慰霊登山以来、1年ぶりだ。
まだ事故のことをよく知らない詩葉ちゃんに「昔、飛行機がこの山に落ちてたくさんの人が死んじゃったから、皆でお祈りをするために来たんだよ。まだ小さいから、分からないかな?」。来年もまた、教えてあげるつもりだ。(山田みう)
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中村晴男さん(80)は墓標に着くと持ってきた缶ビールを開け、紙コップになみなみと注いだ。「今年も来たよ」
中村さんの姉の夫、佐田弘さん(当時53)は、東京から単身赴任先の大阪に帰る途中で事故に遭った。
中村さんは弘さんについて「とにかく面倒見が良く、大酒飲みだった」。中村さんとは気が合い、二人で飲みに行くこともたびたびあった。仕事の愚痴をこぼした時は親身になって聞き、アドバイスをくれた。「人間関係を大切に」とよく話していたという。「一緒に新幹線に乗るとビールの空き缶が窓辺に十数本も並んだ」と笑う。
妻の和子さんは1週間ほど前に体調を崩して今年の登山は断念した。来年もビールを飲みに来るつもりだ。(山田みう)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル