東日本大震災から間もなく11年。宮城県で被災地と向き合う若者4人と記者が昨年末、震災について話し合った。被災者との向き合い方、被災地を語ること、報じること――。そこから見えてきたものは。
渡部更夢(さらむ)さん(水産業支援団体勤務、26歳) 石巻には学生時代から通っていますが、3月11日の当日はいられないなと。親族を亡くした方も、悲しみをずっと引きずってはいられない。でも当日はその「フタを開ける日」というか。自分が寄り添える部分は全くない。
「つらいと言ったら失礼だと思った」
永沼悠斗さん(団体職員、27歳) その時のことを毎日思って生きるのは大変で、どこかで切り替えをしていると思うんです。でも3月11日だけは「そのことだけを思う日」。だから慰霊祭や追悼式に参加するんだと思います。
笹山七海さん(IT企業勤務、25歳) 私は震災について口をつぐんできた。自宅は(仙台市の)内陸で、沿岸部と比べた時、「つらい」と言ったら失礼だと思った。でも3月11日だけは「つらかった」という自分や同じ思いの人たちの気持ちをくみ取ってあげたい。話していかないと継承の観点からも損失だと思い、大学在学中の2017年12月にハフポストに思いを寄稿しました。
永沼 体験を広く知ってもらうには、語る人は多い方がいい。話したいと思ったタイミングで話すのが語り部。言葉を発してくれる人が増えるといい。
紀野国七海さん(大学生、19歳) 小学校で語り部をしたとき「家に帰ったら、お母さんとお父さんに今日の話をしてみて」と呼びかけた。私たちの話を子どもが家族に伝える、これも語り部だと思います。
震災の記事、記者に「悩んだことは?」
永沼 記者の方に質問です。震災関連の記事が同じような構成や書き方になってしまって「伝えたいことが伝わるのか」って悩んだことありませんか?
申知仁記者(26歳) あり…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Leave a Comment