三重テレビ放送(津市)の報道制作局長、小川秀幸さん(55)が、20年に及ぶハンセン病の取材記録を本にまとめた。取材で元患者の苦しみに接し、離れられなくなった。「もっと大々的な報道があれば」。遅すぎた救済について、メディアの責任も問う。
取材を始めたのは、国の強制隔離政策を違憲とした熊本地裁判決(2001年)がきっかけ。当時は三重県政を担当しており、全国共通の話題の一つだった。今年5月現在でも、全国に14カ所(私立含む)あるハンセン病療養所に入所する1004人のうち、同県出身者は28人で、特別に多いわけではない。
ハンセン病
らい菌により皮膚や末梢(まっしょう)神経に障害が起きる感染症。政府による患者の強制隔離政策は1907年に始まった。感染力は弱く、40年代には特効薬も確認されていたが、強制隔離は96年まで続いた。元患者が起こした国家賠償請求訴訟で01年、熊本地裁が違憲性と国の責任を認定。政府は控訴せず、そのまま確定した。
ところが、02年に初めて岡山県にある長島愛生園を訪ね、衝撃を受けた。案内してくれた当時67歳の「為(ため)さん」は、同園の三重県人会で会長を務め、13歳からそこで暮らしていた。
ほかにも、戦後すぐ、3人の…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル