愛川れい子さんは、ぐっと抑えた低音で歌い始めた。
昭和の歌姫・美空ひばりさんの「川の流れのように」。降りしきる雨をよける屋根の下、約50人のファンが見守っていた。4月15日、茨城県小美玉市内で開いた無料コンサート。クライマックスの高音部にさしかかると、豊かで伸びやかな声が響きわたり、こぶしも利いていた。
曲が終わり、年配の男女数人が歩み寄る。襟元にご祝儀袋をねじこんでいった。
水戸市出身の演歌歌手で、北関東や首都圏で活動している。20代でデビューして今年27周年を迎えた。無料コンサート以外にも、月10日ほど地方テレビ局の歌謡ショーやカラオケ大会の審査員、ゴルフコンペの打ち上げの仕事に出かけては歌う。
小中学生のころは脳の病気の影響で、左足が思うように動かせなかった。今は動くようになったが、そのせいで当時はよくいじめられた。20歳を過ぎると脊髄(せきずい)の病気で生死の境をさまよい、がんも患った。
「何のために生きているのかと悩み、ずっと苦しかった。病気になるのも、いじめられるのも、自分がネガティブだからなのだとずっと思っていた」
くじけそうな人生を救ってくれたのは、歌だった。
小さいころは賛美歌に親しんだ。「浜辺の歌」「ぞうさん」などの唱歌や童謡を母親と口ずさんでいた。ひばりさんのレコードを繰り返し聞いては歌い、歌唱力を磨いた。
周囲の大人は、歌のうまい少女を放っておかなかった。カラオケブームで、のど自慢大会が各地で開かれていた。勝手に応募されて何度も優勝。喜ぶ大人たちを見るのが好きだった。
歌手デビューはしたものの、大好きなひばりさんの歌を自分のコンサートで歌い始めたのは15年ほど前だ。「あの情感を表現できない。歌っちゃいけない」と思い込んでいた。
転機は、先輩歌手の渥美二郎さんとBS放送の音楽番組で一緒になったときに訪れた。持ち歌が足りず、不本意だったが、ひばりさんが歌っていた「裏町酒場」を披露した。驚いた渥美さんが、「お前、すごいよ。自信をもって歌い続けなさい」と褒めてくれた。
その直後にもう一つ、自信につながる出来事があった。真夏に長野県の湯田中温泉で、1カ月半にわたる連続ステージの仕事を引き受けた。渥美さんの言葉を信じ、40分ある出番の半分で、ひばりさんの歌を披露してみた。「愛燦燦(さんさん)」「みだれ髪」「津軽のふるさと」……。客の反応を恐る恐る見守った。「初日の聴衆は約70人だった。それが、どんどん増えていったの。最終週は千人を超えちゃった」
どんなステージでも、元気いっぱいだ。高齢のファンの中には、病気を抱えたり伴侶を失ったり、身内の介護で疲れたりしている人もいる。歌の合間、ファンに向けて「どんなときも笑顔を忘れず、強気に前向きに生きないと運もついてこないわよ」と語りかける。
ひばりさんの歌とともに自ら作詞した持ち歌も披露する。その一つ、「生涯青春」も人生の応援歌だ。
♪ここが青春真っ盛り 長く歩いたこの道も どうかお役に立ちますように
ファンは自主的に応援隊を作っている。那珂市の井上操さん(75)は「北関東応援隊長」を自任する。無報酬でマネジャー業を担う。「優しくて人なつっこくて放っておけない。こんな芸能人、他にいません」
無料コンサートの後、ファンと近くのカラオケ喫茶に直行して、何度も一緒に歌うこともある。ファンは大喜びだ。「歌で人の心を動かせたら最高の幸せです。それ以上の欲はありません」とほほ笑んだ。(河合博司)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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