光墨祥吾
沖縄県うるま市(旧石川市)の宮森(みやもり)小学校や住宅に米軍のジェット機が墜落し、児童ら18人が死亡した事故から30日で62年となった。同小では、児童会主催の追悼集会と遺族らによる慰霊祭があった。米軍統治下から日本に復帰して来年で半世紀になるが、なお事故が絶えず、遺族は「子どもたちに危険が及ぶことは、これ以上あってはいけない」と話した。
追悼集会はコロナ禍のため、5、6年生の児童約150人に限定。黙禱(もくとう)を捧げ、犠牲者の名前が刻まれた碑に千羽鶴を供えた。慰霊祭には遺族ら約30人が集まり、献花や焼香をした。
追悼集会で、当時3年生だった弟を亡くした上間義盛さん(78)=同市=は「犠牲になった18人は天国から見守っていると思う。追悼集会を開いていただき、心から感謝します」と児童に語りかけた。
あの日、高校生だった上間さんは現場に駆けつけて立ち上る黒煙を目にした。米軍が規制し、校内には入れなかった。周囲には子どもの名を呼び、泣き叫ぶ親たちがいた。弟の安否は夜までわからなかった。
弟は、遊んでいた校庭のブランコごと爆風で飛ばされ、トイレの壁にたたきつけられて亡くなった、と聞いた。
高校卒業後、40年近く警察官を勤め、米軍関係の事件捜査にも関わった。定年後のいまは子どもたちの登下校の見守り活動を続けている。自宅にいると、テレビの音を米軍機の音がかき消す。県内では近年も小学校校庭への米軍機の窓落下など、事故が続き、6月2日にもヘリが深夜の畑に不時着した。
上間さんは取材に「米軍機の事故、米軍による一方的な事件事故の捜査。ずっと、何も変わっていない」と訴えた。(光墨祥吾)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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