「保護」名目の朝鮮人が殺された 市民が明かした犠牲、地元で追悼へ

 1923年の関東大震災直後、現在の習志野市にあった陸軍施設に、3700人を超える朝鮮人や中国人が収容された。「保護」名目だったが、一部の朝鮮人が虐殺された、という証言も明らかになっている。公文書には残されていない、習志野の「負の歴史」を語り継ごうという追悼イベントが、震災100年の今年、開かれる。

 習志野は当時、「軍郷」と呼ばれ、陸軍の騎兵連隊などの部隊や施設が集まっていた。関東大震災が起きると、政府はデマによる被害などから朝鮮人や中国人を「保護する」として、軍施設のある習志野に収容所を開設した。

 「収容された朝鮮人が殺され…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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