久保敬が新人時代に担任をした5年2組には、タケルのほかにも教職についた卒業生がいる。
37年余り前、勉強の苦手だった男の子が授業中に馬鹿にされ涙した「事件」の後、《先生が意見だれでも言ってほしいと言った時、わたしはだれか手をあげるのを待っていた》と書いた日記を提出した「カオリ」のことだ。
その杉本が久しぶりに久保の名前を聞いたのは、2021年のことだった。
その年の5月、市立木川南小学校で校長をしていた久保は、コロナ禍の教育施策をめぐって当時の松井一郎市長と教育長に、批判的な「提言書」を実名で書き送った。
市は緊急事態宣言を受けて、市立小中学校は「オンライン学習が基本」としつつ、給食の時間は登校させるという変則的な運営方法を取った。
オンライン学習に対応できない学校も多く、突然の決定を受けて教育現場は混乱していた。家庭の事情によって学校で児童を預かる時間も異なるため、久保の学校ではそれまで続けていた集団での登下校もできなくなった。
そのため久保は「子どもの安全・安心も学ぶ権利も保障されてない状況を作り出している」と訴えたのだった。
久保は当時の私の取材に、提言書を出した理由をこう語っていた。
「37年間大阪で教員として育ち、本当に思っていることを黙ったままでいいのかなと。お世話になった先生方や保護者、担任をした子どもを裏切ってしまう感じがしたんです」
翌春に定年退職を控えていた久保。おかしいことはおかしいと言っていい――。子どもたちにそう教えてきた自分を振り返り、自問自答した結果だった。
「誰にもできんかったこと、やりはった」
このニュースは大きく報じられ、杉本の職場でも話題になっていたという。しかし、杉本は当初、提言書を出した小学校長が久保だとは気づかなかった。
1カ月ほどして地元に帰った…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル