東京五輪・パラリンピックで掲げられた「共生社会」。半世紀前に、その理念をもとに創設された会社がある。今年50周年を迎えた「オムロン太陽」(大分県別府市)。会社の歩みは、障害者が生活しやすい環境が街に広がっていく歴史とも重なっている。
車いすの社員らが行き交う社内で、入社3年目の大野友滉さん(29)が車いすでも仕事がしやすい高さの作業台で、もくもくと電子部品の組み立て作業を進めていた。別の作業レーンでは、聴覚障害を持つ9年目の柳田詩織さん(27)が他の社員と打ち合わせをしている。健常者の社員がメモパッドに文字を書き、柳田さんに示すと、右手の手のひらで胸をなで下ろし、「わかりました」と柳田さんが手話で伝えた。他の社員が「ありがとう」と手話で返答した。
いずれも日常の風景だ。同社は社会福祉法人「太陽の家」(同市)を創設した故・中村裕博士と、オムロン(京都市)創業者の故・立石一真さんが共同出資し、1972年4月8日に創業した。現在、社員72人のうち32人が身体や聴覚、精神などに障害がある。
オムロンの主力製品の制御機器用ソケットやスイッチ、センサー類を生産する。2020年度の売り上げは14億9千万円で営業利益は約7千万円にのぼる。
特徴的なのは、給与水準に障害の種別や等級は反映されないことだ。健常者も障害者も同じ給与体系で、オムロン太陽の立石郁雄社長(55)は「人を仕事に合わせるのではなく、仕事を人に合わせている」という。
障害がある社員にできないことがあれば、できるように工夫し、社員一人ひとりの個性や能力を引き上げる努力をしているという。手が使えなければ、足で作業できる仕事を生み出す。社員同士で話し合い、作業ラインを進化させている。
会社の設立とともに、周辺の施設も変わっていく。
創業から5年後の1977年…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル