「1年前には、あそこに建物が残っていたんですが……」
10月中旬、元高校教師の佐藤泰治さん(82)=新潟県南魚沼市=が指さした先は更地になっていた。わずかに家屋の基礎のような痕跡が認められるだけだった。
山々に囲まれ、信濃川支流の中津川が流れる新潟県津南町の穴藤(けっとう)地区。中津川第一発電所のすぐ下流にある集落には1920年代前半、発電所の建設工事などの労働力として朝鮮人が多数動員された。
町史は当時の新聞記事を引用し、「地区の作業場だけでも1200人余りが働き、約600人が朝鮮人労働者」「郷里を出るとき1人40円ほどの前貸しを受けた」などと記載。22戸あったこの集落でも、日本人の下請け業者らが民家などに間借りし、朝鮮人の宿舎も置いていたという。
川流れる遺体、山中にも
佐藤さんが指し示した場所には、工事を仕切る下請け業者がいた民家があった。ここで、朝鮮人への虐待が繰り返されていたという。
1922年7月29日、読売新聞は「信濃川を頻々流れ下る 鮮人の虐殺死体」との見出しの記事を掲載した。穴藤地区で逃げ出そうとした朝鮮人たちが虐待され、遺体が中津川を流れ、山中でも見つかったとし、「北越の地獄谷」と呼ばれているという内容だった。県史でも、資料編の在日朝鮮人の項目で「中津川朝鮮人虐殺事件」として記事の全文が取り上げられている。
当時、朝鮮人関係の労働団体が真相究明を要求。朝鮮の新聞社東亜日報も、編集局長らが翌8月に現地入りして取材し、12回の連載「穴藤踏査記」で詳しく報じた。
これに対し日本側は事実を否定。「24年9月に東京で開催された(朝鮮人有志らの)虐待事件調査会主催の演説会は警察により中止、解散を命じられ……朝鮮人労働者の実態把握と待遇改善の運動は困難を極めた」(町史)という。
「アイゴーアイゴー泣く声」住民証言
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル