「匠吾は将来、日の丸を背負うランナーになる」
東京五輪男子マラソン代表の中村匠吾選手(28)を中学時代に指導した後藤二三夫さん(73)=三重県四日市市石塚町=は、中村選手と母親を前にそう言い切ったことを覚えている。中3の冬だった。
「まさか現実になるとはなあ。匠吾は本当によう努力した」
後藤さんは五輪を前に、その言葉の真意は別にあったことを明かしてくれた。
三重県の公立中学の目立たない生徒
中村選手と出会ったのは、後藤さんが四日市立内部(うつべ)中学校の社会科教諭で陸上部顧問だった57歳のとき。定年退職まで残り3年というタイミングだった。
中村選手は当時、体が細く、返事の声もか細かった。自己主張が苦手で、部員の隅っこにいて目立たない生徒だった。
しかし、走らせると目を見張るものがあった。走りに無駄な動作がなく、スピードの緩急にもセンスを感じた。練習態度もまじめでよくメモをとる。ライバルに対して研究熱心だった。ずば抜けて速いわけではなかったが、「いい選手になる」と感じた。
中学時代、後藤さんが中村選…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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