被爆地広島・長崎には、政治や文化、スポーツなどの第一線で活躍する人々も数多く訪れました。核兵器廃絶を訴え続ける「原点」とも言える地で、何を考え、どんな言葉を残したのか。広島の平和記念資料館と長崎の長崎原爆資料館の「芳名録」に記されたメッセージを手がかりにたどりたいと思います。
《戦後に残された過去の史跡に真に心を動かされ、驚かされました。広島市民の皆様が、未来の平和を目指すため、過去の苦痛を乗り越えますように》(2016年10月20日、広島平和記念資料館の芳名録から)
その男性は、真っすぐに延びた参道を、松葉杖をつきながらゆっくりと歩いた。広島市中区の平和記念公園。2016年10月20日、ベトナム在住で枯れ葉剤の被害者グエン・ドクさんが広島到着後に真っ先に向かった先が原爆死没者慰霊碑だった。手を合わせ花を手向けた。
45回目の来日で、初めて広島を訪れた。初来日は1986年。兄ベトさんが危篤状態になり、日本に緊急搬送された。その後も治療や講演などで日本を訪れ、東日本大震災後には被災した障害者と交流した。広島を訪れる前には、地元の報道機関などに「原爆投下の惨禍を経験しながら、奇跡的な努力で美しく変身した都市を見たい」とコメントを発表した。初来日から30年が経っていた。
献花の後、志賀賢治館長(当時)の案内で平和記念資料館を見学した。約30分間、被爆直後の市内のパノラマ模型や犠牲者の遺品、焼け野原となった市街地の写真などを一つひとつ見てまわった。そして、報道陣にこう語った。
《原爆と枯れ葉剤の被害はどちらも戦争によるもので、同じ痛みを共有している。世界では今も戦争が繰り広げられている。争いをやめ、化学兵器や核兵器は廃絶しなければならない》
芳名録にはこう記した。
《戦後に残された過去の史跡に真に心を動かされ、驚かされました。広島市民の皆様が、未来の平和を目指すため、過去の苦痛を乗り越えますように》
広島滞在中、東広島市で広島ベトナム平和友好協会が主催した基調講演会に登壇した際には、集まった約300人を前に、自身の生い立ちや現在も続く枯れ葉剤被害の実態について語った。そして強調した。
2007年には長崎にも訪れていたドクさん。念願だった被爆地訪問で、広島・長崎はドクさんの目にはどのように映ったのでしょうか。記事後半では、二重被爆者の男性との交流の様子を紹介します。「戦争の悲惨さを語り継ぐ使命」を共有した2人の思いとは。
《原爆と枯れ葉剤の被害は…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル