「原発事故がなければ生きてたよ」 奪われた「お父ちゃん」との時間

 福島県南相馬市鹿島区の藤田八重子さん(68)は最近、同世代の知人夫婦から旅行に行った話を聞くたびにうらやましくなる。「お父ちゃんがいたら、『俺らも行くか』なんて言って、出かけていたかなぁ」

 こわもてな外見とは裏腹に、人に優しい守さんと結婚したのは1972年。建物のコンクリートを成形する型枠工事を専門とする建設会社を立ち上げ、守さんが社長、八重子さんは経理を務めた。4人の子どもを育てながら、会社の規模も徐々に拡大。そんな人生を暗転させたのが、12年前の原発事故だった。

 東京電力福島第一原発の1、3号機で水素爆発が発生。国が避難指示区域を徐々に広げていくなか、2011年3月16日、守さんと八重子さん夫婦は北西の山形市の体育館に避難した。

従業員たちの給料日の前日に…

 守さんが避難中も気にかけて…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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