「地震リスクは小さい」安全神話が阻んだ見直し 前輪島市長の悔恨

 「もっとやれたことがあったのではないか」

 石川県輪島市の前市長、梶文秋さん(75)はあの日以来、そんな思いをぬぐえずにいる。

 元日夕、初詣を終えて自宅前の駐車場に車を止めている最中、大きな揺れに襲われた。

 スマートフォンから緊急地震速報の警報音が鳴りだした。縦に沈むように揺れたと思うと、横にも大きく揺さぶられる。

 自宅は漁港から約150メートル。津波を避けるため高台に逃げたい。しかし、あちこちで倒れた家が道をふさいでいて、車で逃げられない。家族を連れ、約15分かけて高台の集会所まで歩いた。

 「パーン」。夜中に何度も破裂するような音が響く。多くの観光客が訪れる「朝市通り」周辺で火災が続き、炎が噴き上がっていた。

 「ただごとじゃない。相当な被害が出る」と感じた。

 輪島市の職員から議員を経て、1998年から2022年まで市長を6期24年務めた。07年には輪島市沖を震源とする震度6強の地震を経験。その後、避難所や備蓄品を増やし、インフラ整備や住宅の耐震化を進めてきたという。

 「二度とあんな大きな災害が起きることはあるまい」。当時はそんな思いすらあった。

 だが、元日の地震は輪島市で震度7を観測。市内で100人超が亡くなり、建物被害の全容はいまだ見えない。31日になっても2800人余が1次避難所に身を寄せる。

 能登半島地震は、石川県内で死者が少なくとも238人に上る甚大な災害になった。地震に備えるための県の被害想定は死者7人で、1997年度にまとめられてから見直されていなかった。

 県の関係者らは「ここまで大きな地震が起きるとは」と口をそろえる。「安全神話」はなぜ生まれたのか。改める機会は、なかったのか。(市原研吾、宮坂知樹)

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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