「声なき声」追悼式で気づかされた 知床事故、記者が見た1年

 荒れ狂う海からの風が、轟々(ごうごう)と音を立てて首筋を吹き抜けた。車を降りて波打ち際の道路に立つと、強風で舞い上がった白波のしぶきがかかった。

 それはまるで、1年前に初めてこの地を訪れた時のようだった。

 4月23日に北海道斜里町のウトロ地区で取材するため、数日前から現地に入った。23日は1年前、知床半島沖で起きた観光船「KAZUⅠ(カズワン)」の沈没事故が起きた日だ。

 町の天気は当日が近づくにつれて、気温が著しく下がった。雨やみぞれが時折降りそそぐ。

 23日は早朝から大しけだった。ウトロ漁港へ向かうと、人の姿は見当たらなかった。この日は、ウトロ地区で追悼式が開かれることになっていた。

 1年前のあの日、カズワンはこの漁港から海へと出た。そして、乗員乗客26人が帰らぬ人となった。

 午後1時。追悼式が始まった。全国から集まった乗客の家族らが参列した。カズワンを運航していた「知床遊覧船」の桂田精一社長は、姿を現さなかった。

 「事故に直面して私たちが思う気持ちは『悔しい』のひとつ。尊い命を失わせて悔しい。見つけられなくて、悔しい。知床で起きて悔しい。しかし、最も悔しいのは間違いなくご家族のみなさまです」

 「私たちの海で、起きたこのような事故を二度と起こしてはなりません。私たちも前を向きながら、常に行動し続けていく。それが私たちの使命です」

 語りかけるように、馬場隆町長(当時)が式辞を述べた。まもなく、町中にサイレンが響き渡る。出席者が黙禱(もくとう)を捧げた後、家族らによる献花が始まった。

 一本、また一本と、献花台に白い花が供えられていく。会場のいたるところから、すすり泣く声が聞こえる。肩をふるわせて、うつむく家族らの背中が遠目に見えた。

 「どんなに時が流れても、大切な人を失った家族の時間は止まったままだ」

 事故後、乗客の家族と接してきた地元関係者が口にしていた言葉を、ふと思い起こした。

「たった一つの事故で…」

 強く印象に残った場面はその…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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