開戦前から東京空襲想定
報道陣は3月18日、市ケ谷の高台にある防衛省A棟ロビーに集合。木々の間の歩道を敷地の端へ進み、靖国通りと同じ高さまで下っていくと、脇の断層に鉄筋むき出しのコンクリート壁が現れ、「大本営地下壕」の真新しい案内板がある入り口に着きました。正確には「大本営陸軍部地下壕」です。
戦前は戦争遂行の際、日本軍を統帥する天皇の下に陸軍と海軍で大本営を設けました。その陸軍側の中枢が大本営陸軍部で、先ほどの防衛省A棟あたりの高台にかつて庁舎がありました。直下からずれた地下15mのところに壕を作り、地下通路でつないだのです。
入り口でヘルメットを着け、細い通路を10mほど進むと、広さが倍ほどの壕に出ます。高さ4m、幅4.6m。旧防衛庁の市ケ谷移転に伴う1994年からの工事を機に一般公開は中断したままでしたが、四半世紀ぶりの再開へ、耐震と老朽化対策の工事を2月に終えたばかりです。
地下壕の完成は78年前の1942年で、太平洋戦争開戦の翌年です。建設開始は41年8月で、海軍連合艦隊による真珠湾攻撃の4カ月前。陸軍はその頃から米軍による東京空襲を想定し、地下壕を造り始めていたことになります。
地下壕は南北52mの壕3本、東西48mの壕2本が交差する構造です。報道陣が入れたのは一般公開予定の範囲と同じでした。入り口から歩いてきた南北の壕1本目の半分ほど、東西の壕1本目と交差するあたりまでです。
予算1億円弱でできた工事がここまででした。柵のところから南北の壕の奥を見ると、公開範囲と違い天井から細い鉄筋が何本も突き出したままでした。厚さ約1mというコンクリート壁のモルタルの表面からは地下水がにじみ、床には水たまり。その水を抜くのにかつての排水口を今も使います。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース