「天狗党の乱」の背景には? 幕末から昭和につながる水戸学の爪あと

 「尊攘(そんじょう)」。旧水戸藩校「弘道館」(水戸市)に、9代藩主徳川斉昭の命を受けて、能書家の藩医が書いた書がある。差し込む光の具合も手伝ってか、強烈な印象を放って見える。

 NHKの大河ドラマ徳川慶喜」(1998年放映)の撮影でセットとして掛けられ、定着。ただ、弘道館のイメージが尊皇攘夷(じょうい)に偏るとして取り外しを求める意見もあるという。

 弘道館などの世界遺産登録をめざす水戸市教育委員会によると、弘道館は江戸時代における藩校の集大成で、規模も全国最大。総合大学のような幅広な教育がされていたそうだ。

 担当者は「水戸学というと尊王(尊皇)と攘夷が前面に出てしまう。我々は誤解のないよう『水戸の学問』と言う」。

 少し前、慶応大教授の片山杜秀(58)が書いた「尊皇攘夷 水戸学の四百年」が話題になった。天皇を立て外国を打ち払う。日本を新時代に導いた思想の功罪を考えさせられる本だ。

 話は、水戸の漁師が常陸沖で英国捕鯨船と物々交換をする様子から始まる。異国の品々が水戸の市中に出回り、摘発されたのは1823年。さらに、翌年には英国捕鯨船の船員12人が領内に上陸する騒動が起きた。

 尋問に出向いた水戸学者の会沢正志斎(せいしさい)は25年、国防論「新論」を脱稿。四半世紀後、吉田松陰が教えを請いに水戸に訪ねてくるなど、志士の必読書になった。その時代を考察した片山の著書は「水戸」を通し、近代への胎動が描かれ興味深い。

 「未完のファシズム」など、片山は現代における右翼研究の第一人者だ。水戸学に踏み込んだ理由を聞くと、「天皇を中心とした明治国家の制度設計に影響を与えた思想抜きでは、右翼思想家の大川周明や北一輝の辺だけを論じても、近現代をうまく語れないと思った」と話す。

 そうして、掘り下げていった…

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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