東京都目黒区で昨年3月、船戸結愛ちゃん=当時(5)=が両親から虐待され死亡したとされる事件で、保護責任者遺棄致死の罪に問われた母親優里被告(27)の裁判員裁判が9日、東京地裁であり、検察側は懲役11年を求刑、弁護側は懲役5年が相当だと主張し結審。判決は17日に言い渡される。
これまでの船戸被告の公判では、元夫の雄大被告(34)=同罪などで起訴=による暴行や過剰な食事制限などにより、結愛ちゃんが日に日に衰弱し、息を引き取るまでの経緯が明らかにされた。
結愛ちゃんは香川県に住んでいた平成28~29年、自宅の外に放置されていたため県警の通告で児童相談所が2回一時保護。いずれの際にも体にあざがみつかり、病院のカルテには、結愛ちゃんが「お父さんのキックがいっぱいある。おなかもキックされたよ」と話した記載があった。
30年1月に東京都目黒区に転居後、雄大被告は「結愛が少し太っちゃっている」「だれている」「もう一度締め直す」などと言って結愛ちゃんへの食事を厳しく制限し、1日に汁物1杯の日もあったという。
2月、優里被告は、雄大被告が結愛ちゃんの目の付近をたたく暴行を目撃。翌朝、結愛ちゃんの目が大きく腫れていたため、「顔がめっちゃ腫れてるんやけど」と雄大被告に言うと、「ボクサーみたいだな」と笑われたという。優里被告はその時の感情を「心を覆っているものにひびが入って音も聞こえなくなった」と表現した。
それでも小学校に通い始めれば「結愛も楽しく過ごせると思っていた」といい、4月まで「頑張ろうね」と励ましていたという。ところが結愛ちゃんは2月27日ごろから嘔吐(おうと)を繰り返すなど衰弱が顕著になる。病院に連れて行こうと考えたが、雄大被告から「あざが消えたら行く」と言われ、あきらめた。
3日1日、優里被告が久しぶりに結愛ちゃんを風呂に入れると、全身がやせ細っていた。優里被告は直視できないほど驚く一方で、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせた。
亡くなったのは翌2日。死亡時の体重は標準より6キロも軽い12・2キロで、2カ月で4キロ以上減った。肌は土気色に変色し、体には古いものから新しいものまで170個以上の傷やあざが残されていた。
結愛ちゃんの部屋には「いきがくるしくなるまでうんどうをする」「たいじゅうをはかる」などの“約束事”が書かれた貼り紙が多数あった。ノートには「もうおねがい ゆるして」との記載のほか、雄大被告に怒られたこととして「おべんきょうおしえてもらったのにおれいをいわなかった」などの記載もあった。貼り紙やノートの記載は、優里被告が、雄大被告を怒らせないよう結愛ちゃんと一緒に書いたという。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース