夜、地鳴りのような雨音が川の中州にある町を覆った。宮城県丸森町の菊地昇司(76)は腰まで達した濁水の中を半ば泳ぐように避難所を目指した。台風19号に伴う阿武隈川支流の氾濫で町の中心部は広範囲に浸水していた。10月12日午後7時半のことだ。
避難所の「丸森まちづくりセンター」は自宅から5分の道のりだ。それが、この日は延々と続くように感じた。たどり着いたセンターはひどい雨漏りだった。「大丈夫なのか」。町職員の指示で隣接する役場へ再び逃れた。午後9時半、外に出た菊地は唖然(あぜん)とした。センターは周辺道路よりもかさ上げされていたはずなのに、入り口の階段付近まで水が迫っている。
センターは避難所としての機能を果たせなかった。関西大教授の永田尚三(危機管理行政)は話す。
「避難所の選定では導線も一体的に検討されるべきだ。向かう途中に溺れてしまっては、それはもう避難とはいえないのだから」
役場も孤立していた。周辺道路の浸水は2メートル。ボートなしには出入りできず、災害対策本部の固定電話はほとんどが不通に。かろうじてつながった職員の私用携帯と防災無線で外部とやりとりする事態に陥った。
危機は予期されていた。町が平成28年に阿武隈川の氾濫を想定して作ったハザードマップでは、センターも役場庁舎も3~5メートルの浸水域に含まれている。実際に周辺は、27年9月の豪雨と29年10月の台風でも浸水被害が出ている。
しかし、今回は想定外の支流の氾濫に加え、異例の降雨と山からの雨水流入で排水ポンプをフル稼働させても追いつかなかった。
役場周辺の地盤も年々沈み込んでいる。庁舎正面玄関にある階段は建設当時にはなく、この30年余りの間に周囲が1メートルほど沈下したため整備された。もともと、一帯は水田で、庁舎自体は地下深く打ち込まれたくいに支えられ、やっと沈下を免れている状態だ。
「地盤が弱いことは当時から分かっていた。反対の声もあったが、『新しい町をつくるんだ』という期待が移転を後押しした」。当時から町議を務める板橋勇(76)は回想する。
移転の功罪は軽々には論じられない。ただ町が抜本的な対策を講じかねているのも事実だ。町長の保科郷雄(69)は「庁舎の再移転は現実的ではない。排水ポンプの増強以外、考えられない」と明かす。
今月12日に町議選が告示されるが、復興を急ぐ住民らは選挙ムードからほど遠い。ある立候補予定者は苦笑する。「災害に強いまちづくり? しらじらしい。そんなの争点にはならないよ」
丸森町で浮き彫りになった課題は各地で共通する。長野県飯山市では庁舎1階の半分ほどの高さまで水が浸入。同県千曲市でも避難所の文化会館が浸水した。町役場が浸水した茨城県大子町では庁舎移転が決まっていたが、移転先の土地も浸水し計画は見直しに。いずれもハザードマップで浸水想定区域の場所だった。
「ハザードマップの有効性が証明された現状では、住民サービスと危機管理を分散させてリスク回避を図るのが理想だ。ただ、土地の確保など現実的な制限を前にリスクに目をつむらざるを得ないのも現実だ」。立命館大教授の里深好文(河川工学)は指摘する。
リスク回避に舵を切った自治体もある。豊後水道に面した大分県臼杵市。市庁舎は津波被害が想定される湾岸部にあるが、災害時に対策本部となる消防本部を25年に約3・5キロ離れた山の中腹に移した。
里深は続ける。「災害が激甚化する中で、自治体は『必ず被災はある』と確信して対策に取り組まざるを得ない時代に来ている」=敬称略
Source : 国内 – Yahoo!ニュース