福冨旅史、宮城奈々
緊急事態宣言が出されたばかりの広島県で17日、東京五輪聖火リレーの代替リレーがあった。新型コロナウイルス感染防止のため、会場の平和記念公園(広島市中区)は閉めきられ、無観客の中、被爆者らが平和への願いを胸に一列になって聖火をつないだ。
「これは平和の火であり、慰霊の火じゃ」。広島市安佐南区の梶矢文昭さん(82)はトーチを手に目を閉じ、原爆死没者慰霊碑に一礼した。
6歳だったあの日、爆心地の東約1・8キロで被爆。国民学校の臨時教室だった民家を掃除中、外がピカッと光って天井が崩れた。2学年上の姉は下敷きになり、即死した。差し込んだ光を頼りにがれきをかき分け、はい出た。
「地獄じゃった」。立ち上る炎と横たわる無数の遺体を避け、うめき声に耳をふさぎ、焼け野原を裸足で必死に逃げた。釘やガラスを踏んだ足裏の冷たい感触は、今も忘れない。道すがら、会った友人は全身の皮膚がただれ、自分の母親は顔にガラスが突き刺さっていた。
戦後、平和の大切さを伝えようと小学校教諭になり、校長も務めた。退職後は「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」を結成。小・中学校を回り、今も被爆体験を伝え続ける。
逃げ回ることしかできなかった広島の街で、平和のために走りたい。そんな思いで、聖火ランナーに応募した。犠牲になった約14万人への慰霊の気持ちや復興を遂げた喜びを、世界中に伝えたい気持ちもあった。実際に走ることはできなかったが、思いは込めた。「いかに平和が大切か、核が脅威か。3度目の原爆は、あっちゃいけん」
広島市東区の坂井孝之さん(…
この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。
残り:1058文字/全文:1717文字
2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル