夏の日差しが照りつける7月下旬の土曜日。長崎市を流れる浦上川のほとりに、大人から子どもまで、約70人が集まった。おしゃべりをしながら、色とりどりのマリーゴールドを植えていく。活動は1人の男性から始まり、約10年間続いている。
県営野球場そばの河川敷。花を植え始めたのは池田早苗さん(故人)だ。78年前の8月9日、同市西郷(現・江里町)の自宅から5キロほど西に離れた福田村手熊郷(現・長崎市手熊町)へ買い出しに出かけ、爆心地から2キロほどの距離で被爆した。
自宅に戻ると、6歳の妹は真っ黒焦げになっていた。弟2人と妹、姉も被爆後相次いで亡くなり、きょうだいで生き残ったのは自分だけだった。脱毛や原因不明の体調不良に悩まされた母や、父も約10年後に亡くなった。
原爆への怒りを原動力に、平和活動に取り組んだ。長崎原爆被災者協議会(被災協)では長年理事を務め、2001年には平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表に選ばれた。「戦争が憎い、原爆が憎い、核兵器が憎い」。家族を奪われた怒りを、そう強く訴えた。
それから13年後、池田さんは1人で花を植え始めた。あの日、水が見えないほど死体でいっぱいだった浦上川。「平和なところにしか花は咲かない。平和は足元から」。娘の佐藤直子さん(59)にそう話していたという。
活動は被災協を通じて広がり、恒例行事になった。池田さんは自宅で花の株を増やし、19年5月に86歳で亡くなる数年前まで毎日川沿いに通った。近くの高校の生徒や県外の被爆2世にも広がり、今年は過去最多の約70人が集まった。
佐藤さんも毎年参加している。「一般市民の方や学生の方も参加してくれる、この思いが平和につながっていくのかなと思う。父の思いが広がっていることを感じています」
浦上川のほとりには今年も、池田さんが大好きだった花が鮮やかに咲いている。(寺島笑花)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル