「幸せになったらいけない」「私はずっとひとりぼっち」
岡田幸代(さちよ)さん(44)の心は、いつもぐらついていた。
高校1年の冬に親が離婚し、折り合いのよくなかった父が家を出た。「やっと母と2人で暮らせる」。阪神・淡路大震災が起きたのは、そんな矢先だった。
前夜、母に「明日は朝5時半に起こして」と頼んでいた。少し背伸びして入った高校は勉強についていくのが大変で、早起きして英語の宿題をするつもりだった。
だが、声をかけてくれたのに起きられず、母は台所に向かった。そこで柱の下敷きになった。神戸市東灘区のアパートはぐしゃぐしゃなのに、自分は無傷。たった1人の家族を失った。
付き合いのあった親戚はみな、自分の子どものことで手いっぱいだった。奄美大島の祖母のところへ引き取られたが、言葉も、風景も、人間関係も、すべてが神戸と違っていた。がれきのない普通の環境に、心はついていけなかった。
これから勉強して、働いて、お金を稼いで……。母を失った悲しみ、生きていくことへの不安。何をしても満たされない心を、食べることで埋め合わせようとした。体重は20キロ以上増えた。
「親の分まで頑張りなさい」。周囲の言葉も追い打ちをかけた。
どれだけ涙が出るのかと思うほど泣いた
「心のケア」に光があたった阪神・淡路大震災。母を失い、つらさを押し殺していた岡田幸代さんが見つけたのは「泣ける場所」でした。
「震災のこと、話していいん…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル