「幸せに生きてこそ」 歌う母と障害のある娘が導いた事件への答え

 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で利用者ら45人が殺傷された事件から、26日で7年となった。事件は、家族に障害がある人たちにも衝撃を与えた。長女(19)に重度の知的障害があり、園を訪れたこともある酒井美百樹(みゆき)さん(50)=東京都=は、不安や恐怖にかられることもあった。しかし今は、私たちが幸せに生きることこそ、障害者は不幸をつくるという死刑囚のような考えを否定することにつながる、と語る。

 酒井さんは、「MIMO」というアーティスト名で、障害者支援イベントに数多く出演してきた歌手だ。やまゆり園でも、事件の約1カ月前を含めて5回ほどライブを行ってきた。30歳のときに出産した長女は、自閉症スペクトラム障害などもあるダウン症児で、診断された当初は「正直、知的障害者への偏見があり、衝撃を受け、絶望した」と言う。

 言語の発達に遅れがあり、簡単なあいさつ以外は話せない。長女の感情を読み取ることも難しい。何度もくじけそうになったが、医療や福祉関係者の助けも借りて、長女を育ててきた。

 結婚を機に中断していた音楽活動を再開したのは、長女が7歳のとき。誕生日プレゼントに「ギフト」という曲を作ったことがきっかけだった。子育ての苦悩を経て得られた幸せを〈ありふれた毎日がかけがえないと気づいた〉とつづった。

 家族のために作った曲だったが、「世に出しなさい」と周囲に背中を押され、動画サイトなどで発表。2012年に国連が定めた「世界ダウン症の日」の公式曲に選ばれた。4カ国語に翻訳もされ、各地の障害者施設で演奏するようになった。「当時は障害者を育てることのポジティブな情報が少なかった。自分がたどり着いた幸せを、生身の体験として伝えることで、悩んでいる人たちの役に立ちたかった」

 一方、長女をなかなか受け入れられなかったのが義父だった。障害があると知ったときは「しゃーねーな」とぶっきらぼうにつぶやいた。孫が障害者であることを周囲に隠し、距離を置いた。その義父の態度が変わったのは16年6月。不慮の事故で脊椎(せきつい)を損傷し、声が出せず、顔と手以外動かせなくなると、義父はそれから長女との面会を望んだ。

会話ができない2人の面会

 酒井さんは会話ができない2…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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