「建設ディレクター」という仕事の生みの親だ。建設現場での業務を事務面でサポートする役割で、現場監督の長時間労働に悩む中小の建設会社から打開策として注目される。近年、この民間資格の取得希望者が急増している。
背景にあるのは、いわゆる「2024年問題」。「働き方改革」の一環で19年に施行された改正労働基準法は、時間外労働の上限を罰則付きで定めた。業界によっては5年の猶予期間が設けられたが、その猶予は来年3月に終わる。猶予を受けた業界はトラックドライバーに影響が及ぶ運輸業界が有名だが、建設業界もその一つで、業者の摘発が増えたり工事が滞ったりする懸念の声もある。
厚生労働省がまとめた産業別の年間実労働時間を見ると、建設業は22年度に1965・6時間で、全産業の平均と比べて2割多い。
もともと、自身は建設業と無縁の世界にいた。短大の家政学科から観光関係の前職を経て、父が創業した会社で働き始めたのが24歳のころ。建設事務機器の販売やメンテナンスをする会社だった。最初は事務職だったが、営業職に配置転換され、取引先の建設会社と接するようになった。
時は、電子化が徐々に進んでいた07年ごろ。あるとき、ソフトウェアの導入サポートをしていた取引先に呼ばれて赴くと、社員みんなが殺気立っていた。「役所への提出は明日や。この画面、全然わからへん」。画面上のフォーマットを見ると、真っ白だった。
「会社ひとつひとつの問題じゃない。これは業界全体の課題や」
建設業界の課題をみんなで共有し、乗り越えられないか――。知り合いの建設業者に声をかけ、セミナーを09年に開いた。最初、参加したのは3人。小さな規模でも地道に続けて、仲間を増やしていった。
そのころから現場監督の負担は大きかった。朝から現場で下請けの技能者たちを指揮し、夕方以降は作業の進捗(しんちょく)を記録したり翌日以降の計画を練ったりする事務作業。業務は多岐にわたり、負担や責任が大きい。
現場監督の仕事を分離できないか。アイデアは浮かんだが、昔気質の職人肌の人たちが多い業界。「そんなん要らん、ワシが自分でやる」。そう言われたことは数え切れない。
潮目が変わったのは、女性活躍が叫ばれ始めた16年。ドローンなどのICT活用により生産性の向上が求められた時期でもあった。あたためていた建設ディレクターを17年に発表し、同じ年に協会も設立。建設業への女性の参入と責任あるポストにつきやすくする狙いもあった。
協会で2カ月養成して資格を得る建設ディレクター。17年は40人に満たなかったが、通算で今年4月までの申込者数は1086人にのぼる。全国各地の企業に散らばる建設ディレクターが定着するか、ここからが勝負だ。
「インフラ支える建設業に誇りを」
――建設業界での2024年問題は、あまり知られていないのでは。
大手メディアで扱われる機会が少ないですが、いま業界は大騒ぎです。インフラ整備、防災、減災、災害復旧をなりわいとする業界。2024年問題によって新しい技術開発ができないばかりか、既存のインフラ維持もできなくなる。特に地域の中小企業は、人手不足で工事を完遂できないかもしれないという危機感があります。
――負担の大きい現場監督を助ける建設ディレクターを、どのように養成していますか。
私たち建設ディレクター協会が主催する講座を受けてもらいます。講座では工事の流れや専門用語、デジタル技術を活用した書類をつくるために必要な知識について演習を交えて学びます。IT書類作成の専門家に講師になってもらって、その技術を建設現場で使えるようにします。全48時間のカリキュラムで、受講には約2カ月を要します。初めて業界に触れる人にも対応できるよう、どういう産業なのか建設業の社会的役割についても説明します。
――すごい勢いで増えていますね。
今年は4月までの申込者数が256人になりました。昨年の3倍増ペースです。ここ数年、デジタル技術はさらに高度化していますし、国などが定める基準も変わります。たとえば、スマホとクラウドを使って工事データを管理できるようになったので、それにも対応する講座にしています。
――お父さんは建設に関係するお仕事でしたが、どんな子ども時代を過ごされましたか?
特に何か得意なものとか取りえがあったわけではなく、地味な女の子でした。強いて言えば料理が好きでした。今は、好きな料理ができず下手になっていて、そんなストレスもありますが……。短大の家政学科を出て別業界で就職。「腰掛け」って言ったら悪いけど、長く勤め上げるという感覚はなかったんです。
そこまで全く建設と関係なく過ごしてきましたが、父の会社が忙しくなって、手伝うために入りました。建設業の事務機器販売から始まった会社で、当時は積算ソフトの販売もしていました。事務職としてジャンジャン鳴る電話を受けるんですよ。「パソコンが使えない、ファイルが開けない」と。その後、10年くらい経って営業職になりました。
――その間、相当な勉強をされた。
取引先からの電話対応のため、専門用語を解説した本やルールブックを買いあさりました。営業職になった後も、知識を得て接すれば、それまで相手にしてくれなかった技術者も反応してくれるようになりました。それに、現場のことを教えてくれる人も出てきまして。わからないことはその人に尋ねて、知識を増やしました。
父から経営を任されたのが、今から10年ちょっと前。ウチも残業時間が多く、午後8時とかに取引先に行くのは当たり前。それで「ようがんばっているな」って評価される、これは良くないと思っていました。経営者になる少し前からパソコンのソフトを使ったリモートサポートを導入しました。お客さんは一刻も早く問題解決してほしいということで夜に私たちが対応することもあったのですが、夜に行くことより早くリモートで解決できたんです。
――建設業界を取り巻く環境は厳しいと聞きました。
年齢別就業者を見ると、55歳以上が35%に対して20代は1割程度。働く女性比率は2割に満たない。早期離職率は高いし、高度経済成長期に建設したインフラは老朽化し、維持修繕の工事は増える見通し……。データは2、3年前のものですが、こうした課題を解決する策として考えていたのが建設ディレクターです。
残業時間の削減だけを目的にしたものではなかったのですが、残業時間の上限規制を前に中小の建設会社のニーズと合致した形です。
数年前に改めてやったのですが、現場監督の仕事は251の項目に整理できます。このうち現場の管理業務は4割、残り6割が書類業務です。この書類業務のうち6割は建設ディレクターに担わせることが可能です。
――いま力を入れておられることは?
全国各社に散らばる建設ディレクターを、離脱させることなく定着させることです。それによって会社の雰囲気が良くなるようにとも思っています。「支援を業務として確立する」と言ってくれる取引先もいます。昨年、業務連携のプログラムとして「TEAM SWITCH」を立ち上げました。
私の根底にあるのは、誰しもが使うインフラを支える建設業ってすごいなという思いです。しんどい仕事かもしれない。だからこそ、働きやすい職場であってほしいし、若い人や女性たちに誇りをもって積極的に参画してほしい。そのための仕組みになればいいなと思います。
新井さんのプロフィル
★1972年、京都市に生まれる。2人姉妹の次女。
★90年、地元の短大の家政学科に入学(写真上は短大時代に友人と。本人は左端)。
★96年、家業の京都サンダー入社。
★2007年、事務職から営業に配置転換され、技術者の声を聞く中で建設業界の課題を知る。
★09年、技術者の技術力向上のためのセミナーをスタート。
★12年、父親の会社を継承し社長に就任。
★14年、「建設未来京都フォーラム」開始。建設業の課題を共有する場を提供する。
★17年、建設ディレクター育成事業をスタート、一般社団法人「建設ディレクター協会」設立(写真下は18年の打ち合わせ。本人は左奥)。
★19年、建設ディレクター育成事業で京都女性起業家賞の最優秀賞を受賞。
★22年、技術者と建設ディレクターの連携プログラム「TEAM SWITCH」を立ち上げて企業を支援。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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