(わたしの折々のことば)道下美里さん
東京パラリンピック最終日の2021年9月5日。女子マラソン(視覚障害T12)で道下美里さん(44)はゴールの瞬間、高く両手をつきあげた。3時間0分50秒。悲願の金メダルだった。「最高の伴走者と最強の仲間がいたので、ここにたどりついた」。うれし涙を流した。
「わたしの折々のことば」は、大切なことばを三つ挙げてもらい、そのことばにまつわる物語を語ってもらう企画です。
右目は見えない。左目は光と色がぼんやり分かる程度。東京パラリンピックで金メダルを取るまで、数え切れないほどの「人」と「言葉」に支えられてきた。中でも、14歳の時に入院先で出会った「おじちゃん」の言葉は忘れない。「おじちゃんに出会えたことで、私の人生は変わった」
神様は乗り越えられる人にしか試練を与えない。自分は選ばれた人。お嬢ちゃんも選ばれた人なんだよ。 (車いすの「おじちゃん」)
三人兄妹の末っ子で、幼いころは甘えん坊。両親が営む「中野書店」は支店もあり、経済的にも不自由なく育った。
穏やかな日々が一変したのは小学4年の時。右の目の中に白い点があるのを伯母が見つけた。心配した母に連れられ眼科へ行くと大学病院を紹介され、1時間おきに目薬をさす治療が始まった。
それでも右の視力はどんどん下がり、中学2年で0・1になった。角膜移植を提案された。「手術をすれば見えるようになる」。そう説得された。
だが、麻酔から覚めると激しい頭痛に襲われ、再手術。退院した後に眼圧が上がり、今度は水晶体をとる手術をした。さらに再度の角膜移植。中学3年にかけて計4回の手術を受けた。だが右目は見えるどころか、逆に視力を失った。
「なんで私だけこんな運命なんだろう」。思春期まっさかり。友だちは進路をめざして進んでいるのに、自分は3カ月半も入院していて、受験勉強もはかどらない。悲嘆にくれた。
そんな時、病院の自動販売機が置かれた一角で、40代くらいの「おじちゃん」と出会った。大きな車いすに乗って「お嬢ちゃん、いくつ?」と優しく話しかけてくれた。暇つぶしに自販機のところに行っては、おじちゃんと話すのが楽しみになった。
おじちゃんは色々な話をしてくれた。若い時にやんちゃをしたこと。夫婦で営む小さな居酒屋のこと。そして交通事故で大けがをしたこと。体にボルトを埋めたが手術が失敗し、その後、何度も手術を繰り返しているという。それでも、だれを恨む様子もなく、「選ばれた人」と語った。
「なんでそんなに前向きにな…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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