1日の能登半島地震に伴い、大規模な火災が発生した観光名所「輪島朝市」。夜通し26時間にわたる消火活動にあたった消防団員に、発災当時のことを聞いた。
石川県輪島市市ノ瀬町の消防団員の水口薫さん(45)は、実家が地震で起きた土砂崩れに埋もれながら、発災から3時間半後には朝市の火災の消火活動にあたっていた。現在も避難生活を送りながら、ポンプ車で町を回って支援物資を配り、夜は空き巣対策で巡回する生活が2週間以上続いている。
家族の安否を確認 朝市に走った
水口さんの家は朝市などがある市街地から5キロほど南の山際にある。元日、妻と息子2人と自宅にいた水口さんは、地震の直後、玄関先に飛び出すと土砂の山が目に入った。200メートルほど離れた、両親が暮らす実家のあたりだ。「じいちゃんばあちゃん、死んじまったぞ」と家の中にいる13歳と10歳の息子2人に叫んだ直後、母から妻に電話があった。
両親は近くの神社で、初詣後の片付けの当番で、土砂にのみ込まれた家を空けていて無事だった。家族の安否を確認すると、田畑が広がる一帯で右往左往する何台もの車が目に入った。すぐに消防団の活動服に着替えて、近くの公民館に避難するように近所の人や車を誘導した。
誘導が終わると、けが人や寝たきりの高齢者を市立輪島病院へ搬送した。シャッターが曲がって動かない車庫を壊してポンプ車を出庫し、普段は5分ほどで行ける病院まで、地割れした道路を迂回(うかい)して進み、30分かかった。
激しい炎に 無心になって放水
病院に向かう途中、遠くの市街地方面の暗闇がオレンジ色に照らされていた。火災発生の無線も入り、朝市に向かい消火活動を始めた。朝市の火元と水源の市立河井小学校のプールは400メートルほど距離があったため、20メートルのホースが3本入る20キロ弱のホースバッグを背負い、何度も往復し、ホースをつなぎ合わせた。
数時間でプールの水はなくなり、その後は海水を放水した。顔を背けたくなるほどの火と熱を相手に、仲間の団員とともに夜通しで消火活動を続けた。土砂に埋もれた実家や、近所の人の安否が気になりながらも、放水中はなるべく無心になろうとした。「何人がかりで、誰の指示で動いていたかも覚えていない。土砂崩れは掘り出せるかもしれないけど、火事は全部灰になってしまう。そう思って水をかけていた」と振り返る。
翌2日の夜10時ごろに消火活動を終えて、自宅近くの公民館に避難した。高齢者や子どもを優先し、自分は12日まで車中泊で過ごした。その後も公民館前の簡易テントの中で、余震と冷たいすきま風で眠れない夜を明かしている。
復興までの道のり 「見捨てられない」
昼間は地区内の避難所で欲しい物を聞いて、市街地に物資を取りに行き、各避難所に届ける。夜は空き巣対策で、ポンプ車の赤色灯をつけて、集落を巡回している。
息子2人と母は5日から同県津幡町の姉の家に避難している。2人は新しい学校に通い始めたといい「俺たちはいいが、子どもは環境が変わってしまってかわいそうだ」と話す。
水口さんは普段は道路脇ののり面を補強する「アンカー」と呼ばれる杭を打ち込む仕事をしている。ポンプ車で、町を回りながら、地震で折れたり、飛び出したりしてしまったアンカーを見つめる。
「町も家も再建なんてできるのか。家族も離ればなれだし、町を出る友達もいる。でも避難所を立ち上げた人も、炊事する人も、救援物資を送ってくれる県外の人も、みんながそれぞれできることをしてくれる。自分も復興まで町を見捨てられない」と話した。(伊藤進之介)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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