「復興五輪」の裏で進む「棄民」 住まい追われる避難者

 この夏、コロナ禍を押して開催されている「復興五輪」のさなか、首都圏に暮らす福島県からの「自主避難者」が住まいを追われようとしている。福島からの県外避難者は少なくとも約2万8千人。自主避難者は、その約半数を占めるという。「棄民は許されない」と訴える原発事故避難者の村田弘さんに聞いた。

帰りたくても帰れないのに「自主避難」とはおかしい 村田弘さん(原発事故避難者)

 ――政府が「復興五輪」と名付けた東京五輪が始まりました。

 「ほとんど関心を持っていない、というのが正直なところです。でも、とにかく大過なく終わって欲しいと願うばかりですね」

選手村の前で=2021年7月15日、東京都中央区、嶋田達也撮影

 「震災以降の10年で、夏のオリンピックは3回目のはずですが、僕には過去2回の夏季五輪の記憶はほとんどありません。最初の2年ほどは錯乱状態でしたし、それからも生きることに必死で、目を向ける余裕はありませんでした」

 「そもそも『復興五輪』なんて詭弁(きべん)です。原発避難者はまだ全国各地に避難したままで、事故処理の見通しも立たない。それなのに政権は『原発事故の被害は軽かった』と世界に発信したい。その総仕上げがこの五輪です」

 「2013年の国際オリンピック委員会総会の招致演説で当時の安倍晋三首相は『福島はコントロール出来ている』と言い、さらに『健康の問題は今までも現在も、将来もない』と断言した。実際は県の検査で子どもたちに甲状腺がんが見つかり、大量の汚染水が海に流れ、問題だらけでした」

 ――ご自身は、移住先の南相馬市で被災なさったそうですね。

 「はい、東京電力福島第一原発から約16キロの南相馬市小高区で被災しました。妻と子猫と、着の身着のままで情報も無く逃げ惑い、最終的には次女を頼って神奈川県にたどり着いたんです」

 「あのとき68歳だった僕たちは78歳を過ぎ、妻は認知症が進んでいる。退職後、田舎で余生を過ごすはずだったのに、人生を破壊されてしまいました。そして僕たちよりもさらに悲惨な暮らしを強いられ、悔しい思いでいる被災者たちが、全国にたくさんいます」

記事の中盤で、村田弘さんは、東京へ避難する人たちに福島県は2倍の家賃を請求し、生活の基盤が脅かされていると憤りを語ります。後半では、元福島大の教授の今井照さんが、「復興五輪は最初からフィクションだった」と語り、法律の不備を指摘します。

選手村を見つめる村田弘さん=2021年7月15日、東京都中央区、嶋田達也撮影

 ――復興庁によれば、福島県

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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