大西英正
東日本大震災の「復興道路」として整備された三陸沿岸道路(仙台市―青森県八戸市、359キロ)の全線開通を祝う式典が18日、岩手県久慈市で開かれた。西銘恒三郎復興相や達増拓也知事、地元自治体の首長が出席。通り初めの後、午後3時から一般開放される。
三陸道は1974年に着工したが、震災時に開通していたのは全体の3分の1だけだった。津波で沿岸の国道45号が寸断され、救援や支援物資の輸送が阻まれた教訓から、「強靱(きょうじん)性の確保」を第一の目的に被災地で整備が加速した。
今回開通した区間は、岩手県北部の普代―久慈間の25キロ。全線開通で仙台―八戸間の所要時間は約3時間20分短縮されて5時間13分になり、物流や観光の活発化が期待されている。
式典に出席した野田村の小田祐士村長は津波で自宅を流された。それでも1階が浸水した村役場に1カ月ほど寝泊まりし、応急復旧を指揮した。「震災前は完成まで何十年かかるか分からない夢の道路だった。地域の発展につながり、命を守る道として、村民一丸となって有効活用したい」
大槌町にある「三陸花ホテルはまぎく」の千代川茂(ちよかわしげる)社長(70)は、ホテルの近くを通る三陸道の工事を見守ってきた。ホテルは津波で3階まで浸水し、当時社長だった兄と妹は行方不明に。自身も津波にのまれて九死に一生を得た。
「魅力がない地域は、車が道路から降りずに通過されてしまう。どう魅力をアピールするかを一層考えなくてはいけない」と語る。(大西英正)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル