盛岡市でグラフィックデザイナーとして働く加藤麻衣さん(25)。レズビアン、恋愛対象は女性だ。母・イサ子さんがそのことを知ったのは、麻衣さんが大学生の頃だった。
「いつからなの?って聞いたら、小学校の時から気付いていたって言われて。あ、そう、みたいな…。気づいてあげられなかった自分をちょっと責めたときはありました。もっと早く気づいてあげたら、もっと打つ手があったのかなとか。でも、多分言えなかったと思うんですよね。言えませんよね、きっと」
大学時代には、付き合っていた女性がいた。二人きりでつないだ手。しかし、人の気配とともに麻衣さんの手は振り払われた。「ずっと一緒にはいられない」、そう言われた。「将来の話、結婚とか、子どもは何人とかっていう、どんな人が好きかとか、本当のことを言えないでごまかす、というのが続いていて。本当に小さいことに思えるかもしれないが、それが何十回何百回と重なってくるとしんどい」。
昨年、性的マイリティの支援団体を立ち上げた麻衣さん。最初の大きなイベントが、岩手では初めてとなるプライドパレードだった。麻衣さんは沿道に向かって、涙ながらに「実は私は、2、3年前まで、35歳になったら自殺をしようと考えていました。多様性がない岩手でレズビアンとして生きていくことは死にたくなるほど絶望的でした」と訴えた。
6月、麻衣さんは世界的なプライドパレードに参加するためニューヨークを訪れた。ちょうど50年前のこの日、警察から不当な扱いを受けていた性的マイノリティが「ストーンウォール・イン」というバーで暴動を起こした。1969年6月28日の「ストーンウォールの反乱」だ。性的マイノリティの権利運動が広がるきっかけとなった場所の空気に触れた麻衣さんは「50年後にこういう風に人が集まる場所になるとは全然想像していなかったと思うんですけど、アクションを起こし続けていけば、環境も人も変わっていくんだろうなとここを見ていて思いました」と話した。
アメリカでは同性カップルの結婚が認められている。「私もいつかお二人みたいにパートナーを作って、幸せに暮らしていきたいなって。二人を見ていて、改めて思いました」。そう話しかけた麻衣さんに、「レズビアンとして存在すること、偽りのないこと、見られることはとても素敵なことよ」「その日は近いわ。周りを見てみてよ。どこにでも人がたくさんいるじゃない。どんな年齢、どんな性別、どんな人種だって」と優しく語りかける。
別のカップルからも「私たちがこの世界の大きな部分を占めているでしょ?逆戻りはあり得ない。あなたは若くて奇麗なんだから」「公言することを怖がらなくて良いのよ」と話しかけられ、麻衣さんは「二組とも幸せそうで。あなたもいつか私たちみたいになれるよって言ってもらえて。たぶんそうなるんだろうなって本当に思うことができました。すごく安心しました」と安堵した様子だった。このニューヨーク滞在中、麻衣さんは一つの決断をした。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース
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