「もう、記憶がもたない。それでも、自分が口を閉ざしたら何も残らない」
そう、ずっと思ってきた。
苦しみながら、薄れゆく自らの記憶と向き合い続ける。そして思い返す。あの日のことを、あの日からのことを。
あの日とは、11カ月前のきょうのことだ。
事故当時、船を運航していた知床遊覧船に勤めていた男性が、朝日新聞の単独取材に応じました。事故当日や直後に関する貴重な証言とともに、記事後半では、事故を起こした会社の一員として、悔い、悩み続けた日々について語っています。
北海道・知床半島の斜里町ウトロ地区は、観光船「KAZUⅠ(カズワン)」の運航シーズン初日だった。
船を運航する「知床遊覧船」の従業員として受け付けをしていた50代の男性はこの日の午前8時、カズワンの豊田徳幸船長、甲板員の曽山聖さんと事務所で待ち合わせた。豊田船長は、少し遅れてやってきた。
穏やかな朝だった。
いったん2人と漁港に出た男性は、乗客の対応をするために事務所に戻った。知床岬までを3時間かけて往復する初回の運航は、午前10時に迫っていた。
全員がそろったのを確認すると、乗客は列になって港へと向かった。
午前9時45分ごろ、事務所に母子が乗船の手続きに訪れた。午前10時の便は締め切られていたため、男性は親子を次便の乗船者として受け付けた。
だが、男性はふと思った。
「心のどこかに傷ができて…」
「ひょっとしてこの人たちは…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル