14人が死亡し、6千人以上が負傷した地下鉄サリン事件から、20日で29年になった。現場の一つの東京メトロ霞ケ関駅(東京都千代田区)では、発生時刻に近い午前8時ごろ、駅員らが黙禱(もくとう)し、犠牲者を悼んだ。
高橋シズヱさん(77)は霞ケ関駅の助役だった夫の一正さん(当時50)を亡くし、毎年献花に訪れている。一正さんはサリンが入った袋を片付け、搬送先の病院で亡くなった。
シズヱさんは、「オウム真理教が起こした事件を知らない世代が多くなった。生き残った私たちが、事件が忘れられていくのを防がなければならない。その誓いを献花台に伝えた」と話した。
地下鉄サリン事件を経験し、事件を題材にした作品を制作した映画監督さかはらあつしさん(57)は、自宅がある京都府から献花に来た。
事件当時、六本木駅から日比谷線の先頭車両に乗ると、目の焦点が合わなくなり、視界は次第に暗くなった。瞳孔が縮小する「縮瞳」の症状で、サリンの影響だった。事件後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)や睡眠障害を抱え、この日も強い倦怠(けんたい)感があるという。「国による被害者への救済措置が不十分だ。亡くなった方々の分まで、まだまだがんばらないといけない」
初めて献花に訪れたという女性(43)は、当時中学生。テレビで見た事件の光景がいまでも忘れられないという。仕事で日頃から霞ケ関駅を使うといい、「事件を風化させてはいけない。被害者の無念に手をあわせにきた」と話した。
事件を起こしたオウム真理教の後継団体「アレフ」をめぐっては公安審査委員会が今月、決められた資産状況などの報告が不十分だとして、団体規制法に基づき3度目の再発防止処分を決定。21日以降の半年間、全国の16施設の全部または一部の使用が禁止される。
アレフは同法の観察処分に基づき、構成員や資産、収益事業などを公安調査庁に3カ月ごとに報告する必要があり、同庁が再発防止処分を請求していた。
事件は1995年3月20日に発生。オウム真理教の信徒らが、霞ケ関駅に向かう地下鉄日比谷線や千代田線、丸ノ内線の5車両で、サリン入りの袋をとがらせた傘の先で突き、サリンを列車内に散布した。(比嘉展玖)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル