コロナ禍による緊急事態宣言が出される中、多くの疑問や反対の声を残したまま開幕した東京五輪。ほぼ全ての会場で無観客となるなど、異例ずくめの大会は8月8日まで続く。
その「平和の祭典」を複雑な心境で見つめる人々がいる。国立競技場建設のため転居を余儀なくされた人、逼迫(ひっぱく)する医療現場で奮闘する医療関係者、長引く営業の自粛要請に苦しむ飲食店経営者、そして、「復興五輪」の大義から取り残された被災者たち――。
それぞれの目に、五輪はどう映っているのだろうか。現場を歩いた。
霞ケ丘から追い出された
「空の色だけは、あの時と同じです」。開会式を迎えた7月23日、東京都杉並区の自宅近くで、甚野(じんの)公平(こうへい)さん(87)は青空を見上げ、目を潤ませた。
57年前の夏、航空自衛隊のブルーインパルスがスモークで描いた五輪のシンボルマークを国立競技場近くで見た。今回は遠く、見ることができなかった。「心の中には、五輪マークが浮かんでいる。うれしいような、つらいような、複雑な感情が湧いてきます」
国立競技場が立つ、東京都新宿区霞ケ丘町で生まれ育った。1964年の前回大会に伴う競技場建設で生家は取り壊されたが、すぐ近くに建てられた都営霞ケ丘アパートに移り住み、50年以上暮らしてきた。しかし再び、新たな競技場建設のため同アパートは解体、全235世帯の住民が退去を余儀なくされた。アパート跡地の一部は、観客のための歩行デッキへと姿を変えた。しかし、五輪は無観客となり、そこに人影はほとんどない。
「我々はオリンピックで引っ越さざるを得なかった。誰からも喜ばれる五輪であってほしい」。80年以上慣れ親しんだ町を離れた甚野さんの願いだ。
看護師から届いた悲痛なメール
東京都の新型コロナウイルス新規感染者数が初めて3千人を超えた7月28日。 爆発的な感染状況に、立川相互病院(立川市)は、コロナ患者用ベッドの15床増床を決めた。入院時の診断をより正確に行うため、夜間、休日のPCR検査態勢も拡充する。
運用中の20床はほぼ満床が続いており、救急外来では発熱患者を断らざるを得ない事態がすでに起きている。高橋雅哉院長(58)は「感染爆発はおそらくここ1カ月がヤマ。地域の病院にコロナ以外の患者さんを受け入れてもらうなど連携して、当院では一人でも多くのコロナ患者さんを引き受け、自宅で亡くなってしまうケースを何とか防ぎたい」と話す。
「イチかバチかの賭けを、国民の命を賭けてやってもらっちゃ困る」。高橋院長は訴えます。記事後半ではスポーツバーや海鮮居酒屋の店主、福島第一原発4号機で働いていた男性の声をお伝えします。ドキュメント動画もご覧いただけます。
病院の窓には「医療は限界 …
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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