「性別欄」が苦痛だった山崎ナオコーラさん 人の数だけ性別はある

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聞き手・高重治香

 入学願書や履歴書の性別欄をなくしたり、「男性」「女性」以外の選択肢を加えたり、性別欄が変わってきました。幼い頃から性別欄の存在に苦しさや憤りを感じてきたという、作家の山崎ナオコーラさんに話を聞きました。

 ――子どもの頃から、性別欄に性別を記入することが苦しかったとエッセーで書いていました。

 「小学1年生ぐらいの時から、性別を問われることが苦痛でした。自分では女の子とも男の子とも思っていないのに、聞かれたら言葉で返さなければならない。申込書などの書類で性別に丸をつけるのもつらかったです。でも、世の中そういうものなのかと思って仕方なくつけていました。男女別の名簿や、ランドセルが黒と赤に分かれていることも含めて、人間は一人一人違うのに、性別でまとめられる感じが苦痛でした」

 ――大人になってからはどうですか。

 「この数年、書類に性別欄があっても、問題なさそうな時は記入していません。子どもの学校や自治体の書類で『父親』か『母親』かを記入する欄があっても、『親』と書いて出しています。それでとがめられたことはありません。たとえば病院の問診票であれば、性別を書く意味が分かるので書いています。でも、性別を聞いても何の情報になるのかわからないようなシーンで性別を聞いている書類が、とても多いと思います。本人の特定のためなら、生年月日だけでいいのではないでしょうか。自治体など組織の中でも個人個人の考え方はもう進んでいるのに、なんとなく性別欄という形式が残ってしまっているのではないかと感じます」

 ――近年は、「その他」や「答えない/選ばない」という項目がある性別欄も増えました。

 「『その他』という選択肢に…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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