ハロウィーンを控えた1992年10月17日(日本時間18日)、米国で仮装した日本人留学生が射殺された。愛知県立旭丘高校2年だった名古屋市の服部剛丈(よしひろ)さん(当時16)。事件から30年、銃規制の運動を続けてきた父政一(まさいち)さん(75)と母美恵子さん(74)が活動の一線から退く。「憎むより、再び悲劇が起きないように」。その願いを次の世代に託す。
30年前のあの日、日本は日曜日の昼下がりだった。政一さんが、ひとり留守番をしていると、家の電話が鳴った。「剛丈さんが射殺されました」
2カ月前、剛丈さんは米南部ルイジアナ州バトンルージュ市での留学生活を始めたばかりだった。渡航直前には大好きなラグビーの部活でレギュラーをつかみかけており、留学するかどうかを悩んだ末に選んだ新生活だった。
現地時間で17日夜。剛丈さんはハロウィーンパーティーの訪問先を間違えた。対応した男性の「フリーズ(動くな)」を「プリーズ(どうぞ)」と聞き違えて撃たれた、とされる。「本当かどうか、真相はわからない」と政一さん。このやり取りを含め事件は大きな悲しみをもって広く世界に伝えられた。
男性は「計画性のない殺人」の罪で起訴されたが、米裁判所の陪審員団が93年に出した評決は無罪。正当防衛がやむを得ない状況だったと結論付けた。一方、民事裁判では「正当防衛は認められない」と異なる判断が示され、96年に計65万3千ドル(当時約7100万円)を支払うよう男性側に命じた判決が確定した。
「ただ憎んでも息子はかえってこない。だったら、息子ならこうしたいだろうなと、私たちが想像をすることをするしかない。相手を憎んだら、こっちもいやな気持ちになる。いつまでも憎しみの連鎖が続く」。選んだ道が、銃規制の強化を米国市民に訴えることだった。
剛丈さんの遺体を引き取って…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル