沖縄戦末期に沖縄県・波照間島から強制疎開させられ、疎開先でマラリアにかかって亡くなった人たちの慰霊碑が、台風で破損したままになっている。「戦争マラリア」の悲惨な歴史を残そうと、有志が碑の修復などのため寄付を募っている。
慰霊碑「忘勿石之碑」があるのは、波照間の北、西表島南風見田(はいみだ)。「忘勿石」は「わすれないし」「わするないし」などと読まれる。太平洋戦争末期の1945年4月、波照間島民は日本軍の命令で西表島へ強制疎開させられた。沖縄県史によると、軍の食料を確保することなどが目的だったとみられる。
西表島は当時「マラリアの地」と呼ばれるほど感染が広がり、疎開した波照間の人たちも病に倒れた。約4カ月で児童を含む85人が南風見田で亡くなった。感染したまま波照間に戻った人もおり、最終的に島の住民1590人の99・8%が罹患(りかん)、477人が亡くなった。八重山地域では、人口の半数にあたる約1万7千人がかかり、3647人が命を落としたという。
悲劇を忘れてはいけないと、波照間の国民学校長だった故・識名信升(しんしょう)さんが、マラリア禍の中で授業を行っていた西表島の海岸の岩に刻んだ文字「忘勿石 ハテルマ シキナ」を元に92年、碑は作られた。波照間を望む場所に建てられたが、2019年の台風18号で85人の名が刻まれた銘板ははがれ落ち、割れた状態で地面に置かれている。
建立から30年の節目に、碑の修復と波照間での新たな碑の建立を、有志でつくる期成会が企画し、寄付金を募っている。期成会の会長、内原勲さん(73)は「親からマラリアの話を聞かされた我々が語り継がないと」と話す。波照間には犠牲者の碑とともに、戦争で犠牲となった家畜や飢えを救った植物・ソテツへの感謝の碑も設置予定という。
募金活動は1千万円を目標に…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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