長崎の爆心地から5キロ以内で被爆した人のポートレートの展示「閃光(せんこう)の記憶 被爆75年 NAGASAKI」が、福岡市で開かれている。被爆2世の妻を持つ京都出身の写真家が「被爆と向き合わなくてはいけない」と被爆者を訪ね歩いた。生々しい記憶もつづられている。
会場の福岡市中央区のイタリア会館・福岡には、白黒のフィルムで撮影された22人のポートレートが並ぶ。
当時4歳だった小峰秀孝さんは、爆心地から1・3キロのビワの木の上でセミ捕りをしていた。〈セミの鳴き声で音も閃光(せんこう)も分からなかった。爆風で下の畑にたたききつけられ気を失う〉
全身に大やけどを負い、小学校に通うときは横歩きで2時間かかり、同級生からはいじめられた。〈二度と我々みたいな被爆者をつくってほしくない〉
当時16歳だった谷口稜曄さん(2017年に死去)。背中が真っ赤にただれるやけどの写真で知られる。爆心地から1・8キロで自転車で郵便配達中だった。
〈爆風で飛ばされ地面に伏せていても地震のように揺れた。左手は肩から手の先まで皮が垂れ下がった。背中に手をやると、ヌルヌルと焼けただれ黒いものがべっとりついてきた。1年9カ月ベッドにうつぶせに寝たきり、先生や看護婦が見回りに来て「今日も生きている」とささやかれた〉
撮影した福岡市の写真家、松村明さん(74)は「顔や目から、なんとも言えない苦労や悲しみが見える。普通の人とは違うなにかを感じた」と語る。
松村さんは京都出身で長年、毎…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル