「拉致を国民に考えてもらう原動力だった」家族会・飯塚さん悼む声

 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)前代表の飯塚繁雄さんが亡くなったことを受け、後任として11日に代表になった横田拓也さん(53)が18日朝、取材に応じ、「本当に残念であり無念。飯塚さんの存在こそが、国民のみなさんに拉致問題を自分事として聞いてもらう原動力だった。飯塚さんの遺志を受け継ぎ、私も活動していきたい」と話した。

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの弟である拓也さんは、いつもすぐそばで飯塚さんの姿を見てきた。「前代表は(拉致被害者で妹の)田口八重子さんに会いたいという気持ちが真ん中にあったとは思うが、被害者全員を取り戻すという責任感が強かった」と悼んだ。

 飯塚さんは体調を崩しながらも被害者救出を最前線で訴えてきた。昨年は拓也さんの父で初代代表だった横田滋さんや、有本恵子さんの母である嘉代子さんが亡くなっている。「私の母(早紀江さん)を含め、待っている親世代にはもう時間がない」

 横田めぐみさんの母早紀江さん(85)も18日、報道各社の取材に応じた。

 飯塚さんの死去を知り、耕一郎さんに電話をかけて「ほんとうによくやってくれた。がんばった人がいなくなってしまったが、見守っているからね」と声をかけたという。

 飯塚さんについて「主人(滋さん)から家族会代表を引き継いでもらい、2、3年で解決するかと思ったのに、14年も務めてくれた。優しく穏やかな方で、(田口八重子さんの失踪後に)耕一郎さんを引き取り、穏やかで正直な青年に育てた。立派な方だと尊敬しています」と語った。

 支援団体「救う会」の西岡力会長は「愛する妹である田口八重子さんに会わせることができなかったこと、申し訳なく思います。14年間、家族会代表として誠実に激務をこなして下さったこと、心から感謝します。本当にまじめな人柄でした。飯塚繁雄代表がいたからこそ、拉致被害者救出の国民運動は多くの方々に支持されてここまでやってくることができました」とコメントした。

 福井県小浜市の拉致被害者、地村保志さん(66)、富貴恵さん(66)夫妻は18日、同市役所を通じて「心からお悔やみ申し上げます。家族会の代表として、拉致被害者の救出のために大変なご尽力をされましたが、田口八重子さんとの再会がかなわず、本当に残念でなりません」とコメントを発表した。

 八重子さんは、拉致直後の78年9月から79年11月まで平壌市の「モランボン」という場所で富貴恵さんと一緒に生活。84年秋に再会し、86年春ごろまでともに過ごしたという。

 2002年10月に地村さん夫妻が帰国後、飯塚さんは夫妻を訪ねて、八重子さんの情報を集めていた。

 高齢化する被害者家族の問題もあり、夫妻は「改めて、一刻の猶予もないと感じております。拉致問題が早期に解決し、田口八重子さんとご家族が再会できますことを心より願ってやみません」とコメントした。(小田健司)

 神戸市出身で北朝鮮に拉致された有本恵子さんの父明弘さん(93)は18日、同市内で開かれた「拉致問題を考える国民のつどい」の終了後に取材に応じ、「(飯塚さんの)体のことは心配していたが、私の方が早く逝くと思っていた。仲間が減ったのは寂しい」と語った。

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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