日本の開国を求め、米国ペリー提督が170年前に上陸した神奈川県横須賀市の海岸に久里浜少年院はある。
ここに、日本語での意思疎通が難しい少年を受け入れる「国際科」が設けられ、今年で30年になる。
ブラジル人の少年たちが受けていたのは、小学生新聞の記事を読んで、意見や感想を述べ合う授業だった。
ある少年が選んだのは、家畜の飼育環境の改善についての記事。「広いところで色んなものを食べたり、仲間と遊んだりは、大事なことと思います」。別の少年がこう発言した。「自分たちも自由に行動はできないんですけど……」
先生は穏やかで、生徒たちの表情も明るい。だが、ここは学校ではなく、高い塀に囲まれた少年院だ。
少年たちは背筋を伸ばして座り、発言の前後には大きな声であいさつをする。
日本生まれでも日本語が話せず
久里浜少年院に全国初の国際科が設けられたのは1993年のこと。
その3年前、労働者不足を背景に入管難民法が改正され、日系外国人が定住できるようになった。工場のある地方都市などで主にブラジル人の世帯が一気に増えた。
学齢期の子どもも急増したが、日本語ができない彼らを教育する仕組みは十分になく、学校や社会から疎外されていく少年も現れた。
久里浜少年院は「日本人と異なる処遇上の配慮」を要する男子の施設で、日本語での意思疎通がほぼできない少年も受け入れている。
取材に応じた16歳の少年は日本語で十分に会話ができた。落書きや窃盗など罪を重ね、10カ月ほど前にここへ来た当初は、日本生まれなのに職員とほとんど話が通じなかったという。
小学校の途中でブラジル人学…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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