岩手、宮城、福島の3県で1800人(厚生労働省調べ)が遺児や孤児になった東日本大震災。遺児らの心のケアのため、あしなが育英会(東京)が仙台市と宮城県石巻市、岩手県陸前高田市に設けた活動拠点「レインボーハウス」は震災から11年になるいまも、遺児やその家族を支え続けている。
震災で支えられ、今度は支える側に
陸前高田市出身の大学2年、新田佑さん(20)は昨秋、交通事故や病気で親を失った子どもたちが集まる東京都日野市の「あしながレインボーハウス」にいた。訪れた幼い兄妹とトランプや卓球で遊びながら、少しずつ会話を増やしていく。「無理に距離を詰めず、少しずつ打ち解けるように」。2人の表情は次第に和らいでいった――。
新田さんは震災時、小学3年生だった。陸前高田市内の学校にいて難を逃れたが、母牧恵さん(当時36)と妹の琳(りん)さん(当時6)、麗(れい)さん(当時4)は津波で亡くなった。震災直後、家族3人を突然失ったことを頭では理解していたが、受け止められなかった。父(58)も悲しみに押しつぶされ、息子を気遣う余裕を失っていた。
そんな新田さんを救ったのが、あしながの活動だった。震災の3カ月後、岩手県内の温泉地に行った。まわりはみんな親を亡くした子どもたち。それを職員らも知っている。気兼ねなく遊べて屈託なく笑えた。
陸前高田市にハウスができると通うようになり、「父と2人だけだった世界が外に広がった」。
職員や友達と家族を亡くした痛みを語り合ううちに、「忘れよう、逃げよう」という姿勢が変わった。「悩みが共有でき、苦しいのは自分だけじゃないと前向きになれた」と言う。
中学生になると年下の遺児が増えて「今度は支える側に」と思うようになる。大学生になった遺児がハウスの運営を手伝いに来ている姿を見て、「将来は自分でつくれる」と勇気づけられもした。
高校卒業を機に上京。いまは大学で学びながら、日野市のあしながの寮で暮らし、活動を手伝っている。コロナ禍で遺児の集いができない代わりに、励ましのビデオメッセージを作成する。卒業後は遺児を支える仕事がしたいと思っている。「喪失体験を語る難しさを経験したからこそ、彼らに寄り添うことができる」
心のケア、親にとっても
レインボーハウスは、親の居…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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