「明日もがんばろう」13歳少女が遺した日記 原爆が奪った命伝える

 ある少女が78年前に書いた一冊の日記帳がある。ページをめくると、原爆投下によって奪われた女の子の命の輝きがよみがえる。

 13歳の森脇瑤子(ようこ)さんは憧れの女学校に通い始めたばかり。

 4月に入学してから毎日、日記を書いた。

 友だちのこと、学校のこと、家族のこと――。

 「友だちとゲームをして遊んだ。二人でもとても面白かった」

 「桃やえんどう豆があったので、いただいた。(中略)『(出征中の)お父さんたちは、こんなものは無いだろうなあ』と思って、何だか、すまないような気がした」

 8月5日もいつも通り、明日を思った。

 「明日から、家屋疎開の整理だ。一生懸命がんばろうと思う」

 翌朝。瑤子さんは同級生と一緒に、建物を取り壊して空襲時の延焼を防ぐ「建物疎開」作業を広島市内でしていた。

 午前8時15分。米軍が原爆を投下した。瑤子さんは救援のトラックで、約10キロ離れた観音村国民学校(現・広島市佐伯区)に運ばれた。全身、大やけどだった。

 家族が駆けつける前の8月6日午後11時24分、息をひきとった。

 両親は戦後、娘の日記帳を繰り返し見ては、涙を流した。

 兄の細川浩史さん(95)は両親がこの世を去った後、瑤子さんのことを広島平和記念資料館などで伝え続けてきた。

 高齢で証言が難しくなった今でも、妹の笑顔をはっきりと思い出せる。

 原爆投下の約2カ月前。遠方に出掛ける自分を心配し、「神様、どうぞ、浩史兄ちゃんを、お守り下さい」と日記に書いた妹――。

 「こういう子がいたことを、覚えていてもらわんといけん」

 瑤子さんの命を奪われてから78年。そう願い続けてきた。(黒田陸離)

Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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