「最後の早慶戦」描いた幻の脚本 ウクライナ重ねた81歳監督の視線

 第2次大戦下の1943年10月、早稲田・慶応の両大学野球部による壮行試合を描いた映画「ラストゲーム 最後の早慶戦」(2008年公開)。メガホンをとった岐阜市出身の映画監督、神山征二郎さん(81)は撮影用の脚本とは別に、地元の県岐阜商高出身の選手を主人公にした幻の脚本を書いていた。今年、ロシア軍のウクライナ侵攻を目の当たりにして、映像化の思いをより募らせている。

 41年12月8日の真珠湾攻撃から2年が経とうとした43年秋。米国の攻勢で日本側の戦局は厳しく、学生への徴兵猶予が廃止された。東京六大学野球も中止となるなか、戦地に向かう選手らを壮行しようと、早稲田・慶応の野球部による対校戦が開かれた。これが「最後の早慶戦」と呼ばれ、早稲田が10―1で慶応を破った。

 映画は、敵国発祥のスポーツを愛しながらも祖国のため戦場に赴く学生たちの揺れる心と、「人生最後」になるかもしれない試合の開催に向けて奔走する両大学の関係者の姿を描いた青春群像劇。戦争映画を多く手がける神山さんが監督を務め、俳優・渡辺謙を父にもつ渡辺大が早稲田の選手を演じたほか、藤田まこと富司純子ら名優が脇を固めた。

 クランクインを前に、神山さんは岐阜商(現・県岐阜商)出身で早稲田の主軸として試合に出た近藤清(1920~45)を主人公にした脚本をひそかに執筆した。「同じ岐阜出身ということもあり、近藤選手と、彼の無事を願う女性との悲恋の物語もいいのではないか」と考えたという。

映画「ラストゲーム」は青春群像劇で、近藤役はあくまでも脇役でした。しかし、幻の脚本では近藤の悲恋を描いています。「良い物語が書けた」と、神山さんは脚本を保管してきたといいます。

 近藤は岐阜市出身。36年夏の甲子園ではエースの左腕・松井栄造とともに選手権初優勝を果たした。松井の後を追って早稲田に進むと、遊撃手から捕手に転向。六大学秋季リーグ戦の優勝にも貢献した。最後の早慶戦では3番・左翼でプレーし、適時打を放つ活躍をみせた。徴兵後は海軍の特攻隊員に志願し、45年4月28日、南の海に散った。24歳だった。

 戦後、近藤の命日になると…

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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル

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