後藤遼太
太平洋のビキニ環礁で米国が水爆実験を行い、島民や日本の漁船員らが被曝(ひばく)した「ビキニ事件」について後世に伝えようと、市民団体が25日、東京都江東区の夢の島マリーナで集会を開いた。ビキニ事件は3月1日、1954年の発生から70年を迎える。
主催したのは「築地にマグロ塚を作る会」。同会は、被曝した静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員・大石又七さんが、2021年に87歳で亡くなるまで代表を務めてきた。
当時、第五福竜丸などのマグロの一部は築地市場に届いて放射性物質が検出され、「原爆マグロ」と呼ばれてパニックを引き起こした。大石さんはこうした事実を伝える石碑「マグロ塚」を築地に設置するよう都に要望してきたが果たせず、碑は現在、第五福竜丸を保存する江東区の展示館前の広場にある。
この日の集会では、詩「大石又七のマグロ塚への想い」が朗読された。大石さんが16年に語ったという言葉が紹介された。
「核を巡る状況は深刻だ。しかしそうした状況を自覚せずに暮らしていることがどんなに恐ろしいことかを若い人に伝えなければといつも考えている。マグロ塚は私たちがいなくなった後も残り、ビキニ事件のことを、放射能の恐ろしさを伝えてくれる」――。
作る会事務局長の及川佐(たすく)さんは碑の設置を求める署名を集め、7月の都知事選と来年の都議選が終わってから都議会に提出する方針を示した。
集会では、三崎港(神奈川県三浦市)とビキニ事件の関わりを取材してきたジャーナリストの森田喜一さん(89)も講演した。ビキニ事件では第五福竜丸の被曝が知られるが、三崎の漁船も150隻以上が被曝し200トン近いマグロが廃棄されたという。森田さんは「三崎の経済を支えたマグロ漁業は大変な渦に巻き込まれた。被害額は当時の金額で約20億円とも言われる」などと紹介した。(後藤遼太)
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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