国際医療福祉大の薬学部2年橋本蒔子さん(24)は元競輪選手だ。
女性競輪選手だけの「ガールズケイリン」があるのを知ったのは高校3年生の時。
競技経験はなかったが、日本競輪学校(現在の日本競輪選手養成所)を受験して合格した。
卒業から4カ月後の2018年7月にデビュー。
会場でオッズを目にして、人気や実力が数字に表れることを実感した。
自分の名前を呼んで応援してくれる声や、ヤジも聞こえてくる。
誘導員が外れて本格的な勝負が始まり、ギリギリの間合いでの抜きつ抜かれつはまさに「戦い」だった。
デビュー戦は末着(まっちゃく=最下位)だったが、やめようとは思わなかった。
ここから上を目指そうと誓った矢先、体調不良が続いて欠場を余儀なくされる。
競輪には「代謝」と呼ばれる制度があり、成績下位の選手は強制的に引退となる。
出場したレース数が少なく、結果も残せていなかったため、19年12月のレースがラストランになった。
デビューから1年半。まだ20歳だった。
心の支えになった恩師の言葉
次なる目標として定めたのが大学受験。
予備校には通わず、ユーチューブの動画や無料のオンライン講座などを組み合わせて独学で勉強した。
2年で合格しようと計画を立て、最初の1年間は模試も受けなかった。
まずは高校までの内容を総復習し、全て理解できるようにしようと思ったからだ。
「競輪では思うような結果は残せなかったけれど、今度は勝つ」
そんな思いで医学部を目指していたが、最終的には薬学部へ。
選手時代、ドーピング検査を意識して、薬の服用には細心の注意を払っていた。
正しい知識を知らなかったし、薬の知識がある人を探すのにも苦労した。
薬は使わなくて済むなら、使わないほうがいい。
でも、使わなければいけない時に、正しい情報を誰もが知れるような環境を作りたい。
学ぶ目的がはっきりしたことで、薬学部を選んだ。
受験勉強中だけでなく、今も心の支えになっているのが、競輪学校の教官からかけられた言葉の数々だ。
「やるからには一番になりなさい」
「もがいてもがいて苦しくなった時は、たまには力を抜いてみて。水の中でもがいたら溺れるけど、力を抜けば浮くでしょう」
「『正』という字を書いてご…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル