「死刑囚になる人たちの根っこの問題は何なのか、社会的な文脈の中に還元したい」 “死刑囚の表現”を展示する意義とは(ABEMA TIMES)

 都内で行われている展示会、「死刑囚表現展」。2008年に東京・秋葉原で17人を殺傷した加藤智大死刑囚が描いた絵画や、1995年に起きた埼玉県愛犬家連続殺人事件で元夫と共謀し4人を殺害した風間博子死刑囚の絵画などが飾られている。 【映像】死刑囚が描いた作品  15年前に始まった「死刑囚表現展」。展示されているのはすべて死刑囚の作品だ。今回は17人の死刑囚の作品が展示されている。その中には、2016年に神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」で入所者19人を殺害した植松聖死刑囚の作品も。裁判では「障害者を殺害した方が良い」などと主張してきた植松死刑囚だが、今回は安楽死の法制化や大麻合法化、美容整形の推進などの持論を書き綴っている。

 この展示会にインターネットでは、「死刑囚に表現の自由などいらない」「被害者や遺族に苦痛を与えるだけ」といった批判的な声があがっている。死刑囚が表現した作品を展示する意味とは。23日の『ABEMA Prime』は主催者の1人を招き議論した。  「死刑囚表現展」を開催する目的について、主催メンバーの太田昌国氏は次のように話す。

 「結果的に死刑囚が生まれる事件は2つあって、1つは許すことのできない冤罪事件。過去日本にもたくさんあったし、現在も冤罪で苦しんでいる方がいる。それが実際に執行されたらどうなるのかという大きな問題が1つ。もう1つは、死刑囚になるということはその前に非常にむごい犯罪がされているわけだ。その犯罪をその時代の社会的な文脈の中でどう捉えるかという問題があると思う。もちろん、むごい犯罪だから報道が過熱して、そこが焦点化されるのはある程度やむを得ないが、犯罪というのは個人的な問題だけに根っこを持つわけではなく、その時代の社会、政治の在り方にも及ばせて考えていかなければ捉えきれないものがある。犯罪と、実際にそれをなしてしまった結果、死刑囚になる人たち。そういうことを社会的な文脈の中に還元したい」  それらを捉えるため有効だろうと考えたのが、死刑囚自身が何らかの形で表現すること。「彼らは非常に孤立した状態で、狭い独房で生活しているわけだから、社会的なコミュニケーションの手段がまったくない。そういう時に、自分が送ってきた人生あるいは起こした犯罪、そこから離れて自分が持っている空想的な世界に関わって、どういう表現が可能かということを、彼らも表現の権利として保障された方がいい。そういう考え方から始めた」。

Source : 国内 – Yahoo!ニュース

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