困ったことになった。
大勢のソ連(当時)の兵隊を乗せたトラックが迫ってきた。
「ウラー(万歳) ウラー」
16歳の斉藤三郎さんは一緒に歩いていた友人らとともに、トラックに向かって両手を上げて叫んだ。
ソ連兵たちも手を上げて応えてくれ、何事もなく過ぎ去っていった。
しばらく歩くと、突然銃声が聞こえた。
「パーン」「パーン」
振り返ると、1人のソ連兵が自転車に乗ってこっちに向かってきた。
みんなの顔色が変わった。ソ連兵は自動小銃の筒先をこちらに向けている。
「ヤポン(日本人)?」
鋭く叫んでいる。何も言わずに口の前で手を振った。ソ連兵の口調は怒気を増す。
「ヤポン?」
「カリャンスキ(朝鮮人)?」
朝鮮半島の最北端に暮らしていた16歳の少年・斉藤三郎さんは、ある日を境に両親と離ればなれになってしまいました。飢えや病気に苦しみながら、ひたすら祖国・日本を目指して南下しました。記事の後半では、そんな苦難の日々を描くとともに、俳優になった三郎さんの娘の人生を紹介します。
言葉を発すれば日本人だということがバレてしまう。
「皆殺される……」。そう覚悟した。
1945年8月…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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