新型コロナウイルスの感染拡大で、音楽や映画、演劇、落語など文化や芸術に関わる人たちの活動の場が失われています。感染拡大防止のため、やむを得ないとはいえ、これまで私たちに豊かな出会いや喜び、笑いを提供してくれていたアーティストの多くが苦境にあります。先の見えない状況の中、表現活動に関わる人たちに話を聞きました。
拡大する活動が制約される中、アーティストたちの思いは?
芸術止める痛み 感じて 指揮者・沼尻竜典さん
3月、びわ湖ホール(大津市)制作のオペラ「神々の黄昏(たそがれ)」公演が新型コロナの影響で中止になりました。4年を費やした、ワーグナー4部作の集大成。ここでやめたらみんなで作りあげてきた全てがなかったことになる。館長やスタッフと協議し、無観客での上演と配信を決めました。
上演後の記者会見で「文化・芸術は水道の蛇口ではない。いったん止めてしまうと、次にひねっても水が出ないことがある」と述べたら大きな反響がありました。首相会見でも、ジャーナリストの江川紹子さんが質問で引用してくださいました。
この言葉の裏には、蛇口の向こう側にいる人々や、普段は人目に触れない芸術の営みに、少しでも心を寄せていただきたいとの思いがありました。小道具、照明、衣装など、フリーランスの専門家たちによって長年継承されてきた世界のノウハウが、劇場に血を通わせている。歌手や演奏家も、プロの技術を獲得するために膨大な時間を費やし、途方もない努力を何十年と続けています。
文化は社会や経済との循環の中で育てられる。低速回転でもいい、回り続けないとダメなんです。経済が戻ってくるまで止めておけと言われても、ひとたび日常が戻ったときにすでに全てが失われていたら? そうならないための最低限の補償を、多くの文化の現場は国に求めているのです。
僕たちは「好き」と引き換えに、それだけのクオリティーのものを提供する矜持(きょうじ)と覚悟を持っている。イソップ童話の「アリとキリギリス」では、バイオリンを弾いて暮らしていたキリギリスが最後にアリたちに見捨てられますが、働いている時に、アリがキリギリスの演奏に活力をもらい、癒やされたこともあったのでは? 人を楽しませるための技術を獲得するためにキリギリスが費やしてきた時間と労力にも、敬意が払われていいのでは。
今が公演を止めるべき時期だということは分かっています。ただ、文化・芸術の蛇口に手をかけている政治家の方々には、芸術の営みを止めることへの痛みを感じる想像力を持っていただきたく思います。(聞き手 編集委員・吉田純子)
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1964年、東京都生まれ。指揮者、作曲家、ピアニスト。90年、ブザンソン国際指揮者コンクール優勝。独リューベック国立歌劇場音楽総監督などを歴任。滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール芸術監督。17年紫綬褒章。
泥臭い新宿らしさ 残したい 新宿区長・吉住健一さん
文化芸術や娯楽は、新宿らしさの一つで、パワーの源でもあります。新宿の表現活動は、お抱えの劇団や作曲家に自分たちのための作品を作らせた王侯貴族の文化とは違う。もっと泥臭くて、劇場がないなら路上でパフォーマンスしてしまうくらい、とても生命力にあふれたものです。
太平洋戦争で新宿は焼け野原になったが、戦後すぐに劇団やダンスホールなどが立ち上がった。そして今は、末広亭や文学座、紀伊國屋ホール、TOHOシネマズ、ルミネtheよしもと、ライブハウス、クラブなどで、様々な文化人や団体が活動されています。
終戦直後の世代から、野外劇で知られる劇団「椿組」を主宰する外波山(とばやま)文明さんの世代、そして若い世代が新宿らしさの精神を受け継いでいます。活動の場を失い困窮する状況を現場で相談を受ける身としては、緊急事態宣言をめぐる業種の選定や、経済対策や雇用支援などをめぐって国と東京都が綱引きするような状態は首をかしげたくなる。実際に窓口となる我々のような自治体の現場も混乱します。
以前、子ども向けの音楽イベントで「ドイツのベルリン放送管弦楽団は第2次世界大戦中、ベルリン陥落直前まで活動を続けた。今も爆撃音の交じった音源をきける」という話をしました。今まさに戦時下に例えられるぐらい非日常な状態が続いています。先の見えない中で、芸術や娯楽は、自分が人間であることを取り戻して落ち着いたり、やすらぎを得て何かホッとしたりできる力を与えてくれると信じています。
現在、緊急融資の必要がある方や失業の恐れのある方への相談の窓口を拡大しています。今後事態が収束して、文化や芸術に携わる方々が活動を再開する際、区は「活動の場」の確保や活動にあった支援を練る必要があると考えています。長期戦になるウイルスとの闘いの中で、新宿らしさが失われないよう、力を尽くしたいです。(聞き手・伊藤恵里奈)
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1972年、新宿区生まれ。区議会議員、都議会議員などを経て、2014年に新宿区長に就任。現在2期目。
「軽視」される私たち 劇団「東京マハロ」主催・矢島弘一さん
スポーツや文化イベントの2週間自粛を安倍晋三首相が要請した2月末から、都内の劇団では次々と公演が中止され、多くの仲間が職を失っています。ある劇団員は、5月の舞台が中止になり、さらにバイト先の飲食店も自粛を受けて休業して、仕事がない状態です。
「東京マハロ」は、東京・赤坂で3月19~26日の日程で始めた公演を途中で打ち切りました。「自粛」すべきか最初は悩んだ末、「演劇の灯を消してはいけない」と開幕しました。「自粛の要請」で公演を中止した場合の経費負担の問題も考えました。入り口で手指消毒や非接触型の検温をして、お客様にはマスクを着用してもらった。「公演には行けないがチケット代を振り込む」と応援してくださる方もいました。
ですがその後、23日に都が打ち出した「4月12日までの自粛要請」で力尽きました。「感染者を出せば、自分が演劇の灯を消してしまうのでは」と考えると選択肢は一つしか残っていなかった。その時点でチケットは8割ほどが売れていましたが、千秋楽の土日4公演を中止。その代わりに、本番中に撮影した映像をインターネット上で無料配信しました。
出演者やスタッフにとって、上演中止は職場を失うことです。政府は文化芸術に関わる人たちを「企業に属すのを嫌うフリーター」程度にしか見ていないと感じます。演劇は人々の生活の中にあるピースにすぎず、それが時に大切なものになるという存在。ですから声高に言いたくないのですが、補償云々(うんぬん)の話を置くと、そこが一番悔しくて悲しい。
日本ではなぜ表現活動に関わる人たちが軽視されるのか。それは政治だけではなく、作り手や受け手にも責任があると思います。例えばドラマや映画をみても、俳優の人気だけに頼った作品になっていないか。昨年のあいちトリエンナーレでの「表現の自由」をめぐる論争をみても、日本の状況は非常にお粗末です。
他劇団で脚本と演出を手がけた公演を6月に予定していますが、無事に開幕できるかどうか……。我々演劇人は何年も前から劇場を予約し、公演を企画しますが、今は全く先が見えない状況です。(聞き手・伊藤恵里奈)
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1975年、東京都生まれ。2006年に劇団「東京マハロ」を旗揚げ。ドラマ「コウノドリ」や「毒島ゆり子のせきらら日記」などの脚本を担当。第35回向田邦子賞を受賞。
文化守るため 国が支援を ミニシアター運営・浅井隆さん
東京の渋谷と吉祥寺で運営する映画館アップリンクは3月下旬から週末の上映をやめ、、今月8日から当面、全面休館としました。16日に予定していた京都での開業も5月21日に延期します。社会を構成する一員として、「感染拡大を防ぎ人命を守る」との思いからです。
ただ、ミニシアターの多くがもともと厳しい経営状況で、今はかつてない苦境にあります。小池百合子東京都知事が緊急会見で自粛を要請した3月23日以降は、客足が通常の1、2割に減りました。平日に開けていても完全に赤字でした。
3月27日からはネット動画配信の「アップリンク・クラウド」で映画60本以上の見放題を販売し始めました。映画に出会う場を提供する立場で「家で映画が見られる」と宣伝していいのか悩みましたが、会社を潰さないための決断です。
私は経営者として利益を出し、毎月の家賃や従業員の給料を払う責任を負っている。国や都は「自粛」というが、それは経営者に「国民の生命の危機」と「会社を潰さない」の両方をてんびんにかけさせることなのです。
政府は緊急経済対策で、売り上げが半減以上した中小企業に200万円を上限に給付し、都は2店舗以上の事業者には最大100万円の「感染拡大防止協力金」を支給するとのことですが、映画館の賃料すらまかなえません。
映画製作は文化庁が助成し、日本のコンテンツを海外発信する「クールジャパン」関連事業は経済産業省が主導する。一方で映画館は公衆衛生の観点から厚生労働省の管轄です。ですが、特に映画の多様性を担うミニシアターには文化庁の助成などを考えてほしい。文化施設の休業中の賃料を国が肩代わりするなど、公平な仕組みで支援を考えてほしい。
ミニシアターがなくなることは、映画文化の多様性を失うことを意味します。簡単に潰すわけにはいかないのです。(聞き手・伊藤恵里奈)
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1955年、大阪府生まれ。87年にアップリンクを設立し、映画製作や配給、映画館運営を手がける。
ライブハウス「5月末までもつか…」
2月以降、全国のライブハウスは消毒など感染防止に努めてきました。現在は東京都の休業要請で、都内の店はほぼ営業していません。
東京・原宿で40年以上続くロック系ライブハウス「クロコダイル」。4月の売り上げは普段の1%未満の見込みです。約100人で満席ですが、今月初めのライブ配信に1人来店したのみ。店長の西哲也さん(73)は「まともに営業した日がない。銀行の借金が増えて、家賃を減額してもらっても厳しい状況です」。
5月に公演予定の即興パフォーマンス集団は、各団員の自宅で同時にライブ配信するものを一つの画面で見せる手法を検討。後日のライブで使えるドリンク券を売る予定ですが、「その日までうちの店が存続しているか……」。20日からクラウドファンディング「SAVE CROCODILE PROJECT」を始めます。「ライブハウスはミュージシャンが初めてお金を払ってくれる人と出会い、初めて他人と近い距離で音のやりとりをする場。私のライフワークです」と西さん。
大岡山のフォーク系ライブハウス「Goodstock Tokyo」(大田区)は開店して約4年。数十人で満席のこぢんまりとした店ですが、4月は公演予定がなく、売り上げもありません。店長の新見知明さん(61)は「5月も難しいと思う。以前と同じぐらいに客足が戻るのは1~2年先でしょう。長期戦になるのでライブ配信を含め、何か稼げる方法を考えないと」。
最大の問題は家賃。3カ月分は保証金から償却されることになりましたが、防音工事をした天井や壁を退去時に原状復帰させる費用を残すため、保証金での代替はこれが限界です。
今月初め、日本政策金融公庫に融資を申請。連絡はまだ来ません。「融資や協力金がなければ5月末までもつかどうか。とにかく早急にわかりやすい処理をお願いしたい」(坂本真子)
各国の公的支援は
世界中のアーティストがいま、感染拡大によって休業や制作中止に追い込まれています。各国の公的支援の状況を調べました。
【米国】 全米芸術基金(NEA)は、非営利の芸術団体や各州の文化機関に対して、事業や雇用の継続などのため7500万ドル(約83億円)の支援。アカデミー賞を主催する米映画芸術科学アカデミーは、映画業界関係者の支援に600万ドル(約6億6千万円)を寄付し、動画配信サービス大手の米ネットフリックスは1億ドル(約110億円)の基金を設立。
【ドイツ】 政府が小規模事業者や自営業者に500億ユーロ(約6兆円)を拠出し、フリーランスや従業員5人までの事業者には最大9千ユーロ(約105万円)を支給。さらにベルリン市ではアーティストらの生活費穴埋めなどのため、1人5千ユーロ(約60万円)を給付した(現在終了)。
【フランス】 第1段階として、緊急支援2200万ユーロ(約26億円)を拠出し、音楽業界に1千万ユーロ(約12億円)、舞台芸術と出版業界に各500万ユーロ(約6億円)、美術分野に200万ユーロ(約2億4千万円)。映画業界に向けては映画入場税の徴税猶予や、劇場や配給会社への助成金支払い前倒しを実施。音楽業界には困窮するプロのため支援基金設立やチケット代の徴税猶予など。中止になった文化イベントへの助成金の返金も免除される。
【英国】 アーツカウンシルが1億6千万ポンド(約216億円)を用意して、文化芸術機関や個人のアーティストの支援にあてる。
【韓国】 映画振興委員会(KOFIC)では、映画祭やミニシアターなどに関わる助成金の使途を拡大し、人件費に使える割合を増やした。業界団体は映画入場税の完全免除や、制作現場で働く人たちへの直接支援を求めている。
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新型コロナウイルスは、現政権に本質的に欠けているものを克明に可視化し続けています。プロセスを想像し、目に見えぬ世界を敬い、他者を思いやる、いわば「心の営み」です。星野源さんの動画を「拝借」した安倍晋三首相に多くの人が向けたのは、アートによる繊細な精神の連携を雑に扱われたことへの怒りでした。沼尻さんが「水道の蛇口」発言で訴えようとしたのは、蛇口の栓を握っている権力者たちの感性の鈍さ。その時々の社会の根本的なありように、多様な視点で気付かせてくれるのが文化・芸術の力なのです。(編集委員・吉田純子)
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暗闇の中で映画の世界に没入するのは、まさに至福の時。特に多様な価値観や表現がつまった作品を上映し、映画に携わる人々の熱意を感じられるミニシアターに足を運んできました。
苦境にある全国の映画館への支援を募る「ミニシアター・エイド基金」に1億2千万円以上が寄せられています。私も協力した1万人超の中の1人。同基金の会見で片渕須直監督は「映画は見た方の心の中で完成する」と言いましたが、演劇や音楽なども同様です。自分でできる支援を探るのと同時に、国の文化支援策を注視したいです。(伊藤恵里奈)
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アンケート「パートナーとは?」をhttps://www.asahi.com/opinion/forum/で実施中です。新型コロナウイルスで続く「おうち生活」。困ったこと、新たな発見は? asahi_forum@asahi.comでお待ちしています。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル