覚えていますか、13歳の命のメッセージ-。2004年9月、福岡県大牟田市立田隈中の当時2年だった猿渡瞳さんが右大腿(だいたい)骨骨肉腫(右脚の骨のがん)で亡くなった。あれから15年。市広報誌「広報おおむた8月1日号」で、瞳さんの特集が組まれた。1年9カ月に及ぶ闘病生活中も笑顔を絶やさず、命の尊さを訴え続けた瞳さんの生きた証しを伝え続けるために。
【写真」猿渡瞳さんの特集が組まれている広報おおむた8月1日号
「ママが、がんじゃなくて、私で本当によかった。ママががんだったら、私の方がつらくて1週間も生きていけなかったよ。でも私なら大丈夫。がんなんかに絶対負けないから!」
特集は、がんを告知された瞳さんが母直美さん(51)に語った言葉から書き出す。直美さんへの取材を基に、瞳さんの病気の進行、病院や学校での瞳さんの様子や、直美さんのその時々の心情を、通常の特集より多い6ページにわたって記載。瞳さんが描いたイラストやスナップ写真もふんだんに使い、純真で、懸命に生きた瞳さんの生涯を浮かび上がらせている。
亡くなる2カ月前に出場した弁論大会に向けた作文「命を見つめて」は全文を掲載。当時の担任や親友にも取材し、少女の等身大の姿を伝えている。
企画したのは市広報課7年目の岩田真吾さん(51)。市ホームページに掲載されている「命を見つめて」を見た全国の学校や出版社などから、「教材に使いたい」といった問い合わせが今も年2、3件あり「瞳さんのメッセージは時間がたっても全く色あせない。瞳さんを知らない市内の若い世代にも伝えたい」と、月1回の特集記事での掲載を温め続けていたという。
3月から取材を始め、瞳さんの軌跡を追った岩田さんは「お母さんに借りた写真の中の瞳さんは、どれも笑顔。しかし心の中ではどれほどつらかっただろうか。生きることの大切さを全身で表現した13歳の少女の生きざまを多くの人に知ってほしい」と話している。
「瞳から後押しされている」 母の直美さん
猿渡瞳さんの母直美さん=東京在住=に、今の思いを聞いた。
「広報おおむた」に掲載されてから、大牟田の友人や知人からメールや電話が相次いでいます。「涙なくして読めなかった」「瞳さんは今も生きていますね」と言っていただき、感謝の言葉もありません。瞳が亡くなってから、弁論大会の作文を世界中に広めることを目標として生きてきました。私一人の手ではどうすることもできませんが、人から人へと伝わり、タンポポの綿帽子のように大きく広がり、瞳も本当に喜んでいると思います。作文を伝えることに、さまざまな考えから賛否があり、挫折しそうになる時もありました。しかし広報誌の掲載は、私に生きる勇気を与えてくれました。瞳からも「ママ頑張れ」と後押しされているようです。作文は、瞳自身のことではなく、苦しんでいる多くの人たちに向けたものです。一人でも多くの人が命を大切にする社会のために、私はこれからも命懸けで作文を広めていきます。 (談)
西日本新聞社
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